芸術監督の部屋:公立文化施設物語

1-16 オルタナティブスペース(アートセンターへの展開)

ここで、これからの公立文化施設の在り方を新しい方向へ転換させるもう一つの動きについて述べてみたい。それは、民間の活動、特に非営利活動を中心に展開されてきた、オルタナティブスペースとしてのアートセンターの活動である。それは今までの既成概念にとらわれないアートを展開しようとする若いアーチストから発信された活動である。例えば、美術の分野では、インスタレーションと呼ばれるムーブメントが1970年代に起こる。それは絵画とか、彫刻とかのある“もの”に限定された作品としてではなく、作品を作る空間や場所そのものを作品として作り上げ、鑑賞者にはその全体を体験させるような活動である。彼らは空間の整った美術館の中ではなく、むしろ、廃墟、廃屋、田園、広場などあらゆる場所を活用し、映像、コンピューターなど、新しい技術や、音、水、空気などのかたちのないものなども活用し、サイトスペシフィック(場所に固有なもの)を作り出していった。オルタナティブスペースとしてのアートセンターはこのような活動の中から、これまで美術館として使う発想のない空間を自由な活動の拠点として生まれたものであり、多くは市井のオーナーの協力により、廃墟や空き家を利用して、若いアーチストの活動の場を作る動きとして展開された。そして、その後、行政がまちづくりの観点から古い施設の再利用などを期待して参入するようになる。アートセンターは野田邦弘が詳細に紹介している1。アートセンターの代表例としては横浜のBankART2が有名である。これは横浜市が推進する「創造都市構想」の一環として、2004年に旧第一銀行、旧富士銀行の建物を利用して始まったものである。その後、旧富士銀行の拠点は東京芸大誘致の関係で、旧日本郵船倉庫に移転した。都市を文化芸術によって生まれ変わらせるという新たな都市改造の手法としても優れた成果を生んでいる。そして、特に指摘したいのは、行政の都市政策に大きく関わりつつも、行政の直営ではなく、NPO法人BankART1929によって運営されているという点である。NPO法人の約款には、目的として「この法人は、官公庁やアーティスト、専門家、一般市民に対して、まちの歴史的建造物等の管理に関する事業やアーティストの支援に関する事業、アートを中心とした教育に関する事業及びイベントに関する事業を行い、まちづくりの推進を図る活動、学術、文化、芸術又はスポーツの振興を図る活動及びこれらの活動を行う団体の運営又は活動に関する連絡、助言又は援助に寄与することを目的とする。」とあるように、歴史的文化遺産を管理しつつ、アーチストの支援やアートを中心とした教育やイベントに使い、さらにまちづくり、学術、文化、芸術、スポーツといった幅広の振興を目指している点である。アート振興として出発したのではなく、文化芸術を活用するまちづくりツールとして出発し、24時間活動可能、収益事業の可能性などを行政が用意したことで、多くのアーチストに歓迎されて一味違うアートNPOの活動として可能性が大きく広がった。

横浜には、若いアーチストを対象とする興味深い活動がいくつもある。その一つがSTスポット3である。STスポットは1987年に横浜市で活動する舞台芸術関係者が集まり開設したもので、56m2の小さな小劇場である。それはアーチストの自由な表現空間を提供するものである。民間の力で立ち上げたスペースであるからこそ、公の施設にとらわれない、アーチストとの自由な展開が可能となっており、ユニークなパフォーマンスを生んでいる。そして、彼らはBankART1929の立ち上げや、次に述べる「急な坂スタジオ」の立ち上げなどにかかわり、横浜のアートスペースの充実に大きな役割も果たしている。

急な坂スタジオは横浜市の創造界隈形成事業の一環として旧老松会館を転用して、舞台芸術の創造拠点として立ち上げられたものである。ユニークなのは、公設民営として、NPO法人アートネットワーク・ジャパンとNPO法人STスポット横浜の共同事業体が横浜市から選出されたことである。その後組織改組して、現在はNPO法人アートプラットフォームが運営母体となっている。急な坂スタジオはレジデントアーティストとしてダンサー・振付家の岩渕貞太を採用、さらにサポートアーティストとして劇作家、ダンサー・振付家、演出家などとも連携し、「舞台芸術に携わる人材の育成や国際交流の推進、地域とアーティストの交流の場を生み出すことを目的」4に、単なる貸スタジオではない、理念に基づいた創造的な活動を行っている。

大阪でもユニークな活動があった。それはダンスボックス(Dance Box)の活動である。2002年に大阪千日前のフェスティバルゲート内に、大阪市の現代芸術アクションプランに基づいて、公設民営の劇場を大谷燠が私財を使って立ち上げ、コンテンポラリーダンスの拠点としてユニークな活動に乗り出すも、2007年にフェスティバルゲートが閉鎖され、ダンスボックスも閉館となる。しかし、2009年神戸市から招致され、新長田に劇場ArtTheater dB神戸をオープンさせ、活動を継承させている。座席数120席の小劇場であるが、アーチストの育成事業、国際交流事業、地域における教育や福祉、まちの活性化の事業など、大谷の個性を生かした民営の魅力ある事業を展開している。

神戸市には、ArtTheater dB神戸の近く、新開地に、神戸アートビレッジセンター(KAVC)が1996年にオープンしている。それはかつて大興行街であったが、現在はさびれてしまった新開地をアートの力で活性化させる目的で設置されたもので、フリースペース、小映画館、アトリエなどを備え、演劇、ダンス、美術、映像、音楽など様々な分野の若手アーチストの実験的な試みや未来志向の芸術に挑戦しようとするものである。

京都芸術センター(Kyoto Art Center)も重要なアート活動の老舗拠点である。2000年に旧明倫小学校を改修して立ち上がったこの施設は京都のアーチストとの連携によって運営されているのが特色である。「京都芸術センターの運営は、芸術家・芸術関係者を主体として、それを支援する市民・行政等と協力関係を築くことで実現されています。センターの代表者である館長のもと、その諮問機関となるアドバイザリーボードを設けるとともに、運営方針の策定や制作室使用者の選考などを行う運営委員会を設置しています。」5この施設は公益財団法人京都市芸術文化協会が指定管理者として運営を行っているが、有識者等で構成するアドバイザリーボードや運営委員会を設置し、事務局にプログラム・ディレクターやアートコーディネーターを雇用し、「21世紀は、芸術文化が都市を作る時代である」との認識の下で、「京都がもつ優れた芸術文化の伝統や蓄積を現代に生かすこと」と「京都の広範な学術的風土を背景として、新たなヴィジョン創出のための実験的な試みを可能にすること」を大きな目標として活動を行っている。

このように、舞台芸術活動を中心とするアートセンターとインスタレーションを中心とするアートセンターがほぼ同時期に立ち上がり、様々なジャンルの若いアーチストを支援する活動が市松模様のように絡み合いながら、現代のアートセンターのシーンを形成している。これらの立ち上がりを見ると、古く使われなくなった建物を活用し、芸術によるまちの活性化を大きな狙いとして、NPO法人などの民間の力を最大限に活用し、公の施設にとらわれない自由で幅広の運営を展開していることがわかる。このようなアートセンターの活動は、これからの公立文化施設のありかたに大きな刺激を与えてくれるものである。

ここで、筆者がかかわった計画事例について、お話をしたい。これは人口40万人弱の某自治体の計画で提案したものであるが、現時点では実現性がない。そこで、これからの公立文化施設の新しい在り方として、アートセンターの活動を参考にしつつ構想した、その趣旨と方向性について、述べておこうと思う。

当初、大型ホールの計画が持ち上がっていたのだが、財政的な問題や市民の要望、行政の重要施策との関連で、大型ホールの計画が妥当であるかどうかの議論がなされた。現時点では、対象とする市内中心部に位置する敷地には、恒常的な施設ではなく、広場として活用する案、民間に売却して集合住宅を建設する案、あるいは商業施設や子育て施設などを入れる案など様々な提案がなされ、方向性が定まっていない。そこで、しばらくテンポラリーな施設を作ってその活動をみて、今後の方向性を決めてはどうかという意見も提出された。筆者もこのような方向性に賛成したため、文化芸術をまちづくりに活用する仮説的な案を提案した。まちづくりに活用するアート施設は、ちょうど上記に見たようなアートセンターの展開と類似するものである。環境学の分野では、地域の自然環境の再生を図る時に、最終目的を想定して計画を設定しても、その通りになることは難しいため、ステップを踏んで、その都度、最善の施策をおこない、それを柔軟に変更修正してゆくアクティブデザインと呼ばれる手法が使われている。そこで、この計画も、テンポラリーな計画であるから、アクティブデザインの手法を導入してはと提案した。

それは、行政施策の一貫性を維持しながら、市民参加による柔軟性と変動性を受け止めつつ事業を展開する手法である。環境分野で言うと、池などの環境改善をする過程で、最初から固定的将来像を描くのではなく、今の環境状況を理解しながら、それを改善できる様々な対策を順次行ってゆく過程で、同時にその環境状況も変化してくるので、その変化に合わせて、その時行うべき対策を柔軟に変化させながらより良い方向に展開してゆくという方法である。

そして、まずスタートするべきは、市民参加を基軸にした市民自身の文化芸術活動の企画制作力を高めること、そして、それらの市民のサポートにより地域に高い水準のアーチストが定着することを目標に事業を展開することを考えた。そうした人々の活動によって市民が芸術文化にアクセスできるハードルが低くなり、ウィークデイの昼間も稽古や練習でにぎわいを作り出し、施設周辺のまちが活性化することではないか。つまり、運営しながら、市民を育て、専門家を育てるという考え方を採用するのがよく、そのために最も適する、仮設性の高い施設を作ることが望ましいと考えたのである。

人づくりから始めるという考え方が重要であり、そのためには市民と接触できるコミュニケーションスキルを持ちつつ専門知識のある優れたプロデューサー、あるいはプログラムオフィサーからなるチームを編成し、さらにまちづくりと連携するために、市民や地域の財界や企業などからも、将来地域プロデューサーとして活動してくれる人々を合わせて、官民市民連携の運営チームを作ることが期待される。施設を作るのと同時に、地域に文化芸術の観点からまちづくりを仕掛けてくれる優秀なチームを5年、10年かけて編成するのである。こうすることで、その周辺には意欲ある市民ボランティアやアーチストが集まることになり、まちの活性化につながってゆくのではないか。

それは、文化的投資とまちづくり、人づくりの核となる新しい文化施設の在り方である。必要になるのは、優れた芸術家と地域の人々をつなぐプロデュース機能であり、そこへの政策的投資である。地域においてこの循環を何とか成立させることができないだろうか。これからの文化政策はこの挑戦が必要になると思う。そして、この挑戦は、行政だけではむずかしい。商業政策でも産業政策でも、主体は民間である。民間の持つプロデュース力を文化芸術の投資的展開に回すことができないだろうか。地域商業においては、これからは、新しい分野へ挑戦し、新しい事業を立ち上げるような創造的経営が期待されている。一つ一つの企業の努力だけではなく、商店街やより広域の地域を組織的に盛り上げてゆくプロデュース力が期待されている。芸術文化のプロデュースにかかわり、その知恵を学ぶことは、町のプロデュース力もつ人材を育てることにもなる。市民が、芸術文化のプロデュースにかかわることは、市民のまちづくり力を飛躍的に高めることにもつながると考える。このような協働を考える場合、大学など学術機関との連携も重要になる。優れたアカデミズムとの連携で、奥の深い、息の長い計画が成立するであろう。そして、その運営に対しても広く市民参加を盛り込んだ仕組みを取り入れ、また、まちづくりをリードする地域の財界などとの連携や市民と深く連動できるようなプロデューサー、プログラムオフィサーなどの専門家の育成を図り、市民と専門家、行政が協力して地に着いた活動を広めてゆくことにより、新しい地域の文化芸術状況と環境を生み出し、そこで生み出された状況をもとに次のステップ、つまり、次にあるべき施設の在り方を検討するという方法である。

これはまさにアートセンターで展開されてきた考え方をさらに発展させたもので、地域の企業なども呼び込んで、創造するチームをまちづくりの企画立案まで含めた大きなスケールで考えようとするものであり、あらたしい創造拠点の在り方になるのではないだろうか。

  1. 野田邦弘、文化政策の展開、学芸出版社、pp.199-203
  2. BankART1929, http://www.bankart1929.com/, accessed 2020.4.1
  3. STスポット、https://stspot.jp/npo/history.php, accessed 2020.5.6
  4. NPO法人アートプラットフォーム、https://kyunasaka.jp/about/, accessed 2020.5.6
  5. 京都芸術センター、https://www.kac.or.jp/, accessed 2020.5.6
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