芸術監督の部屋:公立文化施設物語

1-13 市民参加型公立文化施設計画と設計プロセス

1970年代までの公立文化施設はいろいろな意味で舞台関係者から継子扱いにされてきた。ハードウエアについても、少しずつ改善がなされてきたにもかかわらず、「帯に短かし、襷に長し」と言われ、あまり評価されてこなかった。それは多目的ホールにせざるを得ないという宿命も影響しているが、劇場関係者と建築設計者の間に大きな溝があったことも否めない。それを改善するきっかけを提供したのが、第二国立劇場(新国立劇場)の計画である。吉井澄雄らが参画した劇場会議という私的検討組織が劇場技術者と劇場に興味を持つ建築計画者をつないだ1。第二国立劇場の計画は、敷地が2点3点するなど様々な出来事があって、長期に及んだが、その結果、当時計画されていた様々な公立文化施設の計画に、第一線の劇場技術者が積極的にかかわるようになった。例えば、沼津市民文化センター(1982年)、熊本県立劇場(1982年)、青山劇場(1985年)など、80年代に作られ、現在でもその価値が十分に発揮されている公立文化施設の設計には吉井澄雄、藤本久徳、小谷喬之助などがコンサルタントとして活躍している。均整の取れたプロセニアム寸法、それに対応した広く奥行きが深い舞台、見やすい客席、あるいは用途を絞った設計、最先端の舞台技術を盛り込んだ設計など劇場を深く知り尽くしたコンサルタントが設計にかかわったことの寄与は計り知れないものがある。彼らより若かった私たちの世代もこの時期に劇場計画に参画するようになった。照明の服部基、佐藤壽晃、舞台監督の小栗哲也、舞台音響の市来邦比古、舞台美術の内山勉、現在KAAT神奈川芸術劇場の館長をしている眞野純など多くの第一線の劇場技術者や、本杉省三や伊東正示などの建築計画者が公立文化施設の計画に参画するようになった。このことによって、建築家の劇場に対する理解も進み、ハードウエアとしての不具合はかなり解決したのではないだろうか。そして、1990年代の高機能の公立文化施設時代を迎えた。

しかし、一方で、難しいことが起こった。広い舞台、充実した舞台設備、優れた音響設計など劇場を高機能にすればするほど、必要とする建物規模が増大し、また、舞台照明、音響、舞台機構などの技術設備にかかるコストも増大する。80年代後半にはバブルを迎えて建築単価もうなぎのぼりになり、地方自治体が負担するコストが膨れ上がった。そうすると、これまで、施設が貧弱で役に立たない、使い勝手が悪い、中身を充実した施設を作れ、と言っていた人々が、今度は、コストがかかりすぎる、そんな高い施設は必要なのかといった批判に転じるようになった。社会はつねに、無責任な批判をするものである。

しかし、客観的に考えてみると、何をやるのか、社会にとってどんな貢献をするのかといった議論をあまり経ずに、単に地域から要望が上がっているから、あるいは、隣町が立派な施設を作ったからといった単純な発想から計画に至る施設が多かったのも事実である。公共施設に対する批判は、そうした、地域への説明が不足した施設づくりに対する地域住民の不満が爆発したともいえる。バブルの崩壊を契機に、どうやって地域の人々の納得を得たうえで、公共施設を設置するべきなのか、そうしたことを考えざるを得ない時期が到達したのである。

一般に公共施設の計画は、基本構想、基本計画、建築設計(基本設計、実施設計)、建築施工という順序で進行する。それぞれ、1年から2年をかけて行われる。すなわちスムーズに計画が進んでも計画初期から完成まで5年から6年はかかることになる。さらに、基本計画に入る前に、市民からの陳情があったり、自治体が作成する総合計画などの上位計画において、公共施設の設計のスケジュールが示唆されたりすることが一般的である。つまり、公立文化施設は計画が芽生える段階から、非常に長い時間をかけて実現に至るのである。しかし、多くの市民の目に触れるのは、現場で工事が開始した時であることが多い。そしてその時には、施設の中身など、すべての計画は決定しており、変更をすることは難しい状況になっている。実際に、基本構想、基本計画の段階で情報はある程度は公開され、議会の承認も計画が進行するたびに行われるのだが、インターネットが発達していなかった1980年代、90年代初頭は、詳細な情報は行政の担当部局に行って入手する必要があり、計画の最初から建設される公立文化施設の情報をしっかりと把握する人は多くなかった。このような情報の一方通行が公共施設不信に拍車をかけていた。

1990年代は、各自治体の情報公開条例なども整備されるようになり、公共施設の計画プロセスをわかりやすく市民に開示し、必要な議論を展開し、ステップごとに段階を追う計画プロセスを進めることができるかが問われる時代になった。同時に、阪神淡路大震災やナホトカ号石油流出事件などが起こり、市民ボランティアの活動が大きな話題にもなった時期であった。1998年には特定非営利活動促進法が制定され、市民活動の後押しになった。

公立文化施設の計画もこうした世の中の要求にこたえるような計画プロセスづくりが必要とされるようになったのである。筆者が公立文化施設の計画において、市民との連携が必要不可欠であると理解するきっかけとなったのが、湯田文化創造館(1993年)の計画である。

湯田文化創造館は筆者が劇場コンサルタントとしてではなく、建築設計者2としてかかわった数少ない事例の一つである。今は合併し西和賀町になっているが、当時は3000人程度の人口の湯田町として独立していた。非常に小さな町だが、かつては鉱業が盛んで、温泉も湧き出る湯治場でもあった。そして、そこには劇作家川村光夫が主宰する岩手ぶどう座という劇団があった。川村は「うたよみざる」などの戯曲で世界的にも名が知れ、地域の民話などを題材に社会的な課題をわかりやすく「地域演劇」として表現する作家である。たまたま彼が筆者の「劇場の構図」を目にとめてくださり、地域の劇場を作りたいから協力をしてほしいという声をかけていただいたのがきっかけである。その後、地域で講演をする機会を頂いたりしながら、行政との連携が始まり、計画が具体的に動き出した。湯田文化創造館は地域の文化ホールとして多目的な利用に供するものではあったが、湯田町ではぶどう座の活動が評価されていたため、主たる演目を演劇に定めた。そして、小さい施設ではあったが、川村の抱く施設イメージを再現するように舞台美術家内山勉、舞台照明家服部基、舞台音響家高橋巌という第一線の舞台技術者をコンサルタントとしてお願いし、大きめの楽屋や別棟の練習室を兼ねるUホールなどを備えて演劇に高度に対応する劇場を計画することができた。そして、その過程で、地域の人々から信頼の厚かった川村の声掛けで、屋外の舞台のイメージをつくるために舞台鼻の下に石組みをしたが、その石は人々が持ち寄ってくれたことに感動を覚えた。小さい町だからでもあるが、多くの顔の見える町民が建設を支えてくれた。そして、この施設は完成後の運営も素晴らしく、当時街の職員であった新田満が先頭を切って高齢者演劇や地域演劇祭の開催などを積極的に推し進めた。高齢者演劇では地域のお年寄りに積極的に声をかけて舞台に登場してもらっている。このような川村や新田との出会いや地域の人々の応援が生きた施設を作ることになると心から実感した。それが、そのあとで筆者が積極的に展開する参加型の公立文化施設づくりのきっかけである。

さて、参加型の施設計画を説明する前に、公共施設の計画プロセスを見ておこう。先にも示したように、公共施設は基本構想、基本計画、基本設計、実施設計、施工というプロセスで進行する。そして基本計画が終わって設計に入る前に、設計者の選定が行われる。これは基本的には入札で行われるか、あるいは、指名、または公募による設計競技によって行われる。入札はもちろん価格が安い設計料を提示したところが落札する仕組みであるが、ホールのように高機能の施設においては、設計料の多寡よりは技量の高い設計者を選定する必要があるため、筆者は公募による設計競技を推薦している。公募による設計競技では、設計者は本気でいい建物を計画しようと努力するからである。

基本構想ではどんなことが示されるのであろうか。かつての計画では、基本構想を十分に練っていないものが多かった。特に、行政が専門家を入れずに計画する場合には、類似する自治体規模の近隣施設や新設施設を視察し、その結果に基づいて、ホールのキャパシティ(客席数)や施設規模(建築的には延床面積等)、建設費用を想定するものであった。何のために施設を計画するのか、どのような運営をするのか、そのためにはどのような施設内容が必要か、運営後の目標年次までにはどんなことが達成されていないといけないのかというようなことが本来議論されるべきであるが、こうした議論はなかなか進まない。基本計画では、基本構想がさらに展開され、具体的なミッションとそれを達成する事業の在り方、そのための組織作りが検討され、建築的には、必要な諸室、性能などを具体化する。しかし、この段階でも、こうした詳細な検討がなされるのはまれであった。完成後の運営方針が定まっている世田谷パブリックシアターや彩の国さいたま芸術劇場においては、計画段階に時間があったことも幸いし、綿密な基本構想、基本計画が策定されている。

筆者がまず心掛けたのは、基本構想と基本計画の内容を明確にすることであった。そのためには二つの仕組み作りが必要になる。計画を進行させるための専門家を交えた検討プロセスの構築とその検討プロセスの公開と市民参加である。

専門家を交えた検討プロセスとは、計画づくりに本気になって取り組んでくれる舞台芸術家や技術者、そして地域の関係者を交えた専門委員会の結成である。ここでは市民の要望や行政の考え方を踏まえて、施設のミッションづくり、運営の基本方針、具体的な事業計画、そのために必要な組織づくりへの提案、必要な施設機能と空間規模などが検討される。この計画は、行政の上位計画である総合計画、文化振興計画(ビジョン)などの指針と整合性を取ることも重要である。上位計画の記載が少ない場合には、基本構想、基本計画には上位計画に該当する部分も含めて考える必要も生まれる。市民参加型計画として進められた、長久手市文化の家、武豊町民会館ゆめたろうプラザの計画では文化推進ビジョンの役割も果たす文化マスタープランとして基本計画、基本構想が検討された。そして、これらには基本的な方針はもとより、それに基づいた5年後、10年後に目指すべき達成目標とそのために必要な事業計画が時系列に載せながら計画されている。行政は定められたルーチンをこなすのは得意だが、新しいものへ創造的に挑戦することが苦手である。それを乗り越えて、未来を切り開く創造性のある計画を立案するためには首長の理解と前例にとらわれず前へ進もうとする力のある職員の積極的な協力が不可欠である。優れた結果を生み出している公立文化施設では、必ず上記のような創造的な計画プロセスが成し遂げられていると考え良いだろう。

市民参加のプロセスはこうした創造的な計画プロセスと連動して行われる。ここでは参加型計画の代表事例である可児市文化創造センターの計画プロセスを事例に考察をしてみよう。センターの市民参加プロセスは現在でもホームページ3に掲載されている。また、日経アーキテクチャー4などにも取り上げられている。

「可児市文化創造センターの計画においては、施設と事業の理念、具体的な活動と必要空間の一致をしっかりと考えること、そして、そのための運営組織の在り方を十分に煮詰めること、そして、それが地域に受け入れられるために市民参加による合意形成と意思決定のプロセスを当初から導入することを前提にプロジェクトが組まれた。」5

「可児市文化創造センターの計画も箱物作りから入っている。しかし、例え箱物から出発しても、市民の要望、合意を踏まえ、完成時までに具体的なソフト事業の展開がしっかり作成され、さらに市民に理解される活動が展開されるのであれば、それは決して箱物に終わらない。箱物が批判を受けるのは箱の意味をしっかり見つめず、事業計画も十分に定まらないまま建設が完了し、そのまま放置されてしまうことがあまりにも多いことにあると考えたい。」6

これが可児市文化創造センターの市民参加型計画をささえた基本的な考え方である。「市民参加の詳細」には具体的な市民参加の経過が記録として記載されている。それによると毎月2回は本会議やワークショップが開催されている。そして、この間には、その調整をはかるために、中核となった市民委員は幹事会などへの参加を含むと毎週何かの会議に参加しているのである。それが基本構想の開始から開館までの6年の長きにわたり続き、さらに、その市民の一部はNPO法人alaクルーズを立ち上げ、事業体として運営に参加したことにより、さらに継続して活動を展開し、現在に至っている。

基本構想と基本計画づくりには基本構想等懇話会が公募で集められ、35名の市民が公募に応じた。基本構想に参加した市民は、最後の運営まで行うことになるとは想像をしていなかったからだと思う。当初は、計画づくりが始まったと聞いて、そこに何らかの個人的な意見を反映させたいと思い、公募に応じた。基本構想検討の最初のプロセスは、市民委員による意見の持ち寄りである。タック紙に1意見一枚に書かれた期待、提案、要望などはKJ法によるグループ討論により、模造紙にまとめられ、互いに発表された。ハードや運営にかかる様々な意見がだされ、当初は合意形成がむずかしいように思われた。これらの意見はさらに、ファシリテータとして参加した筆者と大月淳7によってハードに関する意見、ソフトに関する意見の2枚にまとめられ、市民委員にフィードバックされた。そして、この用紙を常に携帯して、どのような施設づくりと運営が必要なのか、基本構想・基本計画を作るために必要が合意形成を図っていった。そして、それらの意見を取りまとめて、筆者らが基本構想・基本計画素案を作成したが、それは生のままの状態で懇話会にかけられ、文言の変更、追加、削除、修正はすべて委員の相互検討のプロセスにゆだねられた。この間、他施設の見学も行っている。実はこの基本構想と基本計画の段階でほかの施設計画ではあまり例を見ない試みを展開している。この計画はあくまでの文化ホール施設というハードを作ることが基本となっており、基本構想・基本計画も施設づくりに大きな重点を置いている。しかし、基本構想等懇話会に参画した市民の大半は、建築の専門家ではない。文章で作成した計画が、具体的にどのようなものになるかは容易に想像できない。そして、通常は、設計案は、基本計画が完成したのちに、設計者が決まってから初めて検討される。それでは、市民参加のプロセスで、基本計画段階の検討が十分にはできない。そこで、筆者の所属していた名古屋大学の建築計画のゼミ生にお願いして、2チームで設計案を作ってもらった。その最終段階は可児市で1週間行い、懇話会のメンバーは自由に参加して意見を言ってもらうようにしたのである。委員の皆さんは、朝から夜まで頑張る学生を、毎日のように頻繁に顔を出し親御さんのように見守ってくれて、学生の話を聞きつつ具体的内容をよく理解してくれるようになった。2案の計画案は懇話会で発表し、意見を出してもらった。この後で、公募型の設計競技において、設計者の選定がおこなわれたが、最終的に選定された香山壽夫率いる(有)環境造形研究所は、基本設計を現地で市民の意見を聞きながら行う旨の発言を公開ヒアリングで明言していただき、行政は現地に設計のための空間を用意してくださって、次のステップである参加型の設計プロセスに進むことができた。

設計段階では、市民委員会は新しく、公募をやり直し、市民活動研究会に移行した。前回からの継続した方もおられるが、新しい委員も含めて46名で再スタートした。設計段階の市民参加は設計事務所が主体的にファシリテートした。そして、設計段階では設計事務所は市民とのやり取りを3回繰り返すことを約束してくださった。おざなりな市民参加では、一度市民意見を聴取したあとは、設計が終わってから報告を行うようなものもあるが、可児の場合は、設計コンペの案にまず、市民意見が述べられ、それを反映させた案を市民に返す最初のステップ、そして、その次にさらにその案に対して市民意見が述べられ、またその意見を反映させた修正案を作り、さらにそのプロセスをもう一回繰り返すというものである。それを基本設計の実質半年ほどの間で繰り返した。最初の案に意見を反映させると、建築規模が膨れ上がる。それは建設予算の大幅な増加となり、実現がむずかしい。そこで、規模の圧縮をしなければならないことも市民に正直に伝えて、圧縮しつつ機能を高める計画を作っていったのである。このように、プロセスを繰り返すことは実は参加型設計においては重要なのである。先の学生による試設計と設計事務所による基本設計もプロセスの繰り返しである。プロフェッショナルな計画では、後戻りする計画プロセスは嫌われる。それはいろいろなコストがかさみ、経営の圧迫やプロセスの遅延を引き起こすからである。しかし、筆者は、市民参加の計画プロセスでは、同じプロセスを2回以上繰り返す、あるいは重ねることを重要視している。物事は議論しているときよりは、一歩遅れて理解が進むものである。理解が進んで、意見が変わったとき、あるいは当初は気が付かなかったことを後で発見したときにも計画プロセスに取り込めるような余裕が計画づくりには大事になる。

基本設計が終了し実施設計に移るころから活動研究会の内容も変化をしている。活動研究会には多くの市民が参加してくださったが、可児市全体にたいしてはごく一部の委員である。そこで、可児市は基本設計の結果を市民に報告する企画を活動研究会に依頼し、「みたい!知りたい!みんなのゆめ!!」と題する報告会が主体的に実施された。さらに、「親子でつくろうあかりアート」など、担当の専門委員と市民委員が協力して化学ろうそくを使って作品をつくって多くの市民にも見てもらおうという企画もあった。これは文化創造センターができた暁に行う市民企画イベントの予行演習のようなものでもある。

最後の施工段階に入ると、あたらしい組織である可児市文化創造センター市民の会準備会が結成された。これまでの2つの市民参加の委員会は、計画に意見を述べるための会議であった。しかし、新しい組織は目標を180度変更し、文化創造センターができたあとに市民組織として運営に参加することを前提に、どのような組織を立ち上げることができるのかを検討するための会議である。したがって、単に意見を述べるだけではなく、自ら運営することを意識して会議に加わるため、そのハードルはぐっと高くなる。それでも新しい委員を含めて47名が参加してくれた。そして、一気に「alaクルーズ」という市民参加型組織の立ち上げを目指ざす「alaクルーズ設立発起人会」が誕生した。そして、開館前にalaクルーズの設立総会が行われ、活動が始まった。当初は正会員122名、準会員2名での船出であった。そして、現在ではNPO法人化にも成功している。alaクルーズはコンサートなどの企画を行う創造企画グループ、客席案内、チケットもぎりなどを行う支援グループ、そして、情報、広報などを行う広報グループの3グループに分かれて活動をしている。可児市文化創造センターは、現在の衛紀生館長の下で、我が国の公立文化施設における社会包摂プログラムの旗振り役が目立っているが、その社会包摂などの活動を市民活動グループがしっかりと支えているのである。

最後に可児市文化創造センターの市民参加を通して考えた市民参加の秘訣について、「市民参加の詳細」からそのまま引用し、箇条書きにまとめておきたい。

  1. 市民参加を採用するのは早ければ早い方がよい。
  2. 市民参加を成功させるにはしっかりしたファシリテータが不可欠である。
  3. 市民参加を成功させるには市民意見をきちんと受け入れる行政の意識と体制が不可欠である。
  4. 市民参加を成功させるには、市民が意思決定をおこなうときに必要な正確な情報を適切な時期に適切な形で用意することが不可欠である。
  5. 市民参加を成功させるには市民参加組織をフラットに保つことが大切である。
  6. 市民参加を成功させるには適切な専門的判断でサポートできる各種の専門家の参画が望ましい。
  7. 市民参加を成功させるには、無理のない段階的ステップを構築することが大切である。
  8. 市民参加を成功させるには、変更できない結論を用意してはいけない。
  9. 市民参加を成功させるには、行政、議会、専門家、市民それぞれがお互いの役割や価値を評価しあい、尊重しあう施設が必要である。
  10. 市民参加を成功させるには、分かったつもりになってはいけない。できれば、同じステップを2度、3度くりかえしてでも、理解を深め、合意形成を硬いものにする努力が必要である。
  11. 市民参加を成功させるためには、フラットな集団が目的を達成するために、使いこなすことができる、情報伝達、合意形成、意思決定技術を持っている必要がある。
  12. 市民参加を成功させるためには、常に緊張を強いる作業ばかりではなく、様々な形で参加者の交流、親睦を図る企画を行うことも大切である。
  13. 市民参加を成功させるには、途中から参加した市民にも居場所が与えられるようなオープンな雰囲気作りが大切である。
  14. 常に一つ先に達成すべき目標を設定する。

これらの秘訣はいまでも有効であると自負している。

さて、ここで、公立文化施設の市民参加の根底にある重要な考え方を明らかにしておきたい。それは、公共圏と公立文化施設の深い関係である。公立文化施設の前身は公会堂建築であったことをすでに述べた。公会堂建築は地域の名士たちが、演説、集会、討論などの場としてつくろうとした倶楽部的公会堂に端を発する。当然、地域の様々な集会に利用されていた。その伝統は綿々と続き、現在の公立文化施設においても、講演会、市民集会などの催し物の会場としても重要な機能を果たしている。民主主義の根幹である集会の自由を保障する大事な施設でもあるのである。

さらに、日本ではあまり意識されないのであるが、芸術文化活動と市民社会の在り方にも深い関係がある。ヨーロッパの美術館・博物館はもちろん、劇場や音楽堂は国や地方自治体が公的資金によって運営しているものが圧倒的に多い。これはなぜだろう。それは、18世紀以後、産業革命によって貴族に変わり、新しい政治や社会の担い手となった市民層は、フランスのサロンやイギリスのコーヒーハウスのような芸術文化を話題にする、階級社会を越えたフラットな仕組みの中から生まれたもので、そこでの討論が民主主義という新しい政治の在り方を涵養したからである。この辺りの論理は、ユルゲン・ハーバーマスの「公共性の構造転換」8に詳しく述べられている。芸術を話題にして築かれた文芸的公共性が、自由な公論に立脚した市民的公共性の基盤を形成していると指摘されている。事実、現在のコンサートホールは、イギリスにおいては、コーヒーハウスに接続されたパブリック・コンサートホールから発展したものである。ハイドンなどが、積極的に活躍して多くの市民に親しまれたのも、こうしたパブリック・コンサートホールの存在が大きかった。ドイツの最初のコンサートホールであるライプチッヒのゲバントハウスも、その名前が「織物会館」であるように、地域で財を成した新興市民である繊維業者の組合が地域貢献のために建設した建物であった。新しい市民社会を拓いた芸術文化活動は、だからこそ、社会から尊敬を受け、公的資金によって、それらが守られ、運営されているのである。

このように、公共ホールを中心にする公立文化施設は、民主主義精神の涵養の場として理解されるべきものである。日本で、公立文化施設の根拠となっている地方自治法の244条においても、施設の利用を拒んではならないとされているのは、そうした背景があるからである。

ここで公共圏について、説明をしておきたい。公共圏とは民主主義に立脚する市民の自立形成を促す開かれた場のことである。西洋の美術館、博物館、劇場、音楽堂などが、公的資金によって運営され、市民に安い価格で公開されているのは、先に述べたように、芸術文化の活動が、市民の公論の場の発展に大きく貢献したからである。

筆者は「21世紀の地域劇場」において、公立文化施設と公共圏の関係を示した。日本の舞台芸術は残念なことに、「私的領域活動にとどまり、市民社会が公共圏を獲得する段階で積極的なリーダーシップをとることに成功してこなかった。」9ことで、芸術文化活動と公共圏の形成との関係をあまり重視してこなかった。筆者が指摘するまで、公立文化施設の根拠においては、公共圏の涵養の場という考え方は大きくとらえられてはいなかった。しかし、1990年代の後半、特定非営利法人の導入などによる市民参加の盛り上がりや、行政の施策に関する市民の積極的な参画機運、そして、芸術文化振興基金の設置などによる公的資金提供の仕組み形成を鑑みると、ようやく、西洋で行われたような、芸術と公共性の関係を考える機会が到来したように思われる。これからは、公の施設と芸術との関係性を考えるうえで、公共圏というキイワードは重要な位置づけを与えられることになろう。特に、地域に立脚し、地域の人々の芸術文化活動をささえるコミュニティシアターとしての公立文化施設を考えるときには、どのように芸術文化活動という個をベースとする創造行為とそれを社会化する装置としての公立文化施設との関係をしっかりと説明しなければならなくなると考える。

  1. 吉井澄雄、照明家(あかりや)人生、早川書房、2018
  2. 設計は筆者とA&T建築研究所(都市造形研究所)、高橋建築事務所(現高橋設計)による。第16回東北建築賞受賞(1995)
  3. 可児市文化創造センター、alaとは、資料ダウンロード、「センター建設基本構想・基本計画」、「センター事業のあゆみ」、「市民参加でのアーラ建設詳細」、https://www.kpac.or.jp/report/、accessed 2020.5.1
  4. 運営への参加を最初から目指す、日経アーキテクチャー、2003.3-3号、pp.52-53
  5. 市民参加の詳細、https://www.kpac.or.jp/data/report/shimizu.pdf、p.2、accessed 2020.5.1
  6. 市民参加の詳細、https://www.kpac.or.jp/data/report/shimizu.pdf、p.3、2020.5.1 accessed
  7. 大月淳、現在三重大学准教授
  8. ユルゲン・ハーバーマス、「公共性の構造転換」、未来社、1973年
  9. 清水裕之、「21世紀の地域劇場」、鹿島出版会、1999、p.141
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