芸術監督の部屋:公立文化施設物語

1-12 劇場における多様な、見る、見られる関係性の発見

戦後60年代、70年代には公立文化施設において、多目的ホールの建設が進み、技術的改善が行われたことはすでに述べた。そして、どの客席からも舞台が同じように見え、同じように聞こえるというわかりやすい技術目標が設定され、ホールの視聴覚環境は大いに改善された。しかし、一方感動を与える空間という意味においては、ヨーロッパの伝統的なオペラハウスなどで採用されている、幾層もの重層するバルコニーを擁するイタリア式(バロック)劇場にはかなわないものがあった。オーディトリアムの1階も、側壁もぐるりと観客席に取り巻かれているイタリア式劇場では、素晴らしい公演で沸き立った時の感動の増幅感は何とも言えないものがある。そのような感動はなぜ起こるのか、それを空間論的に解明できないだろうか。筆者は劇場に興味を持った時に純粋に感じた。イタリア式劇場だけではない。唐十郎や佐藤信らのアンダーグラウンド演劇の会場となるテントや、ジャン・ジャンのような地下劇場では、身動きが取れないほどぎっしり詰め込まれた観客席からみる演劇は、決して洗練されているとは言えないものの、大変熱い熱気をうけて感動したことも、当時の多目的ホールの感動が少ない、ひんやりした観客席をより強く印象付けたのかもしれない。
このように素晴らしい感動を与えてくれるイタリア式劇場は、見えない席、見にくい席があまりにも多く、現代の建築計画としては大変好ましくないものでもあった。見えない席、見えにくい席があっても、それを伝統と理解し、寛容に接することができるヨーロッパの観客であればいいが、日本の観客には、こうした席は許容できないであろう。

ヨーロッパでは戦後、戦災を受けたオペラハウスや演劇劇場の改修や新築が各地でおこなわれた。かつてのイタリア式劇場は、さすがに現代の利用に合わないため、改修においては、多くの劇場において、コンパートメント方式の仕切りが取り外された。例えばその好例はミュンヘンオペラハウスである。5層のバルコニーがぐるりと平土間席を囲んで設置されているが、そのコンパートメントの仕切りは取り外されて、連続するバルコニーに変更された。この劇場は筆者がひと月あまり技術部に通ったこともあり、大好きな劇場である。ここで見るオペラやバレエは、観客席が一体になり素晴らしい感動を与えてくれる。しかし、やはり、側方のバルコニーの2列目より後ろはあまりよく見えない。また、1列目でも、舞台をよく見ようとして、体を乗り出すと、後ろのお客さんから舞台が見えないとクレームが来る。

ヨーロッパにおいても、戦後、新しい劇場を設計するにあたり、いろいろな観客席のかたちが試みられている。例えば、ハンブルグ州立劇場やケルン歌劇場(ケルンオペラ)では、スレッジ(そり)形式と呼ばれる客席が考案されている。それは側面のバルコニー席をそりのように舞台方向へ突き出すように重層して配置する方法である。この形式は劇場の側壁への立体的な人の張り付きを考慮しながら、できるだけ良く見え、良く聞こえるように視線の調整を行ったものである。このほかにも、ドイツの新しい劇場では、イタリア式劇場の良さを生かして、横までバルコニー席をぐるりと回した設計が多くみられる。イギリスで戦後すぐに建設され、その音響設計が日本でも手本にされた、ロイヤル・フェスティバル・ホールにおいても、側壁にはバルコニー席が設定されている。新しいところでは、フランス、パリのバスティーユ・オペラハウスでも、側面にはバルコニー席が配置されている。このように、イタリア形式が作り出す囲まれた雰囲気をいかに新しいホールにおいても実現できるか、戦後の建築家たちは、様々な工夫を行っている。

日本の劇場においても、観客席側壁の客席は伝統的に重要な役割を果たしてきた。歌舞伎劇場で言うところの東西の桟敷、いわゆる側方のバルコニー席である。東西とは客席の側面を指す言葉である。江戸期の歌舞伎劇場においては、上客はお茶屋さんを通して劇場に足を運んだ。そして、湯茶、食事、酒のサービスを、お茶屋さんを通して受けたのである。バルコニー席はそうした饗宴の場でもあった。現在でも京都南座などでは顔見世興行などで、優雅な弁当を食べる桟敷席の客の姿がある。そうした雰囲気も劇場の味わいをさらに深める力になっている。お能についても正面の見所だけではなく、橋がかかりの前には、側面から本舞台をみる脇正面がある。舞台の見え方は、この二つの席で全く違うものになる。さらに、能楽が生まれた室町時代には、京都の河原などで、寄進を求める勧進能が催され、管領などの高位の武士、貴族から庶民に至るまで様々な階級の人々が集まった能楽の大パフォーマンスが行われている。これは広い場所に平土間席を囲い込むように仮設の桟敷席が設けられ、貴賓はそこに着座して観劇をした。こうした演劇のかたちをみるにつけ、洋の東西を問わず、桟敷席による囲み型の客席形状は演劇にとって重要な基本型であり、その意味を考察する必要があると感じたのである。

ところが1970年代までの劇場の教科書には、客席の形態に関する意味論的考察が全く掲載されていなかった。桟敷席の意味はなにか。バルコニー席があるとどうして観客席の雰囲気が感動的になるのかなどを知りたいと考えた。

古今東西の伝統的な劇場や広場などでの芸能上演の場が掲載されている銅版画や絵巻物を集め、そこから見る-見られる関係の空間的特徴を把握しようと試みた。その結果、非常に面白い関係性があることが分かった。その結果は「劇場の構図」1にまとめてあるので、ご興味のある方はご覧いただきたい。一つは横から見ることである。日本の絵巻物の中で芸能の描写が多いのが「年中行事絵巻」である。平安時代末期に後白河法皇の命によってつくられた年中行事を描いたもので、写本しか残っていないが、そこには四季折々の宮中や市井における様々な行事が描かれている。そして、そこには様々な形の見る-見られる関係が示されている。筆者が特に興味を引いたのは、闘鶏の描写である。庶民の闘鶏、豪族の庭先での闘鶏、宮中での闘鶏の3枚の絵がある。庶民の闘鶏では向かい合う二つのグループが鶏を出し合って戦いを観戦している。豪族の庭先の闘鶏では、新たな視線が加わる。それは鶏を持ち寄り庭に左右に分かれて観戦する庶民の姿に対して、それと直行する形で、邸宅の縁から闘鶏の様子を観戦する主人の姿である。AとBのグループが向かい合って対決する場合、その対決を邪魔することなく、最も近い位置から観戦するのはAとBを結ぶ軸線に直行する軸線である。ちょうど豪族の邸宅の縁がその格好の場所を提供している。そして、それはAとBの立場からみれば、その横から観戦する形なのである。そして、面白いことに、宮中での闘鶏ではAとBの庶民の位置は幕を張って消去され、豪族の軸線であったところのみが残っている。庶民の位置にあった軸線は消滅しているのである。そのような横からみる軸線は、神事にもみられる。若宮祭の様子には、神楽を舞う巫女に対して、神の視線と神主たちの視線が直行する。それに対して、そこに参加を許された観客は、その軸線を横から見る位置に小屋が用意されて、そこから見ている。さらに、反対側の森の中には招かれざる客であろうか、木陰から盗み見している姿も描かれている。この観客も、横からの参加である。すなわち、横からの参加は、主体となる、見る-見られる軸線を損なうことなく、最も近くからアプローチすることができる絶好の方法なのだとわかる。こうした、横から見るという方法は、西洋、バロックのパフォーマンスにも登場する。バロック時代は絶対王政による階級制度で都市支配が行われた時代であるが、それは演劇の構図にも影響を与えている。宮廷での演劇パフォーマンスがもてはやされたのもこの時代であるが、舞台はルネサンス以来発展をつづけた透視画法による奥行きの深いものであり、バレエなどのパフォーマンスはその前で行われている。そして、それに正対するもっとも良い席には王が着座する。舞台から王に至る主軸線が形成される。そして、特に興味あるのは、その家臣や婦人たちが、舞台と王を結ぶ軸線の横に、その軸線に直行する形で着座するのである。横から見る軸線の発生である。そして、この形はバロック時代の様々なパフォーマンスに必ず登場するのである。今日の劇場のように観客は舞台を向いて座るのではなく、王と舞台を眺められるように横から着座するのである。これは社会構造からみると極めて合理的である。王から見れば、自分の家臣が自分を見ているように感じられるし、家臣からみれば、王と舞台を両方できるだけ近い位置で鑑賞できるのである。現代でもサッカーや、野球のような敵味方で戦うスポーツでは観客の位置は重要である。野球では一塁側、三塁側で応援するチームが全く異なる。

このように、横からみるという行為は正面よりも視覚的に悪い席ではなく、特別な意味を与えられるべき、合理的な位置でもあるのである。そして、座る意図によって着座の位置は異なるのである。この考察は、現代の劇場において、均質によく見え、良く聞こえるという考え方が大変特殊なものであることを気づかせてくれた。劇場にはもっと多様な、見る-みられる関係があってよいのである。

それは、さらに文楽(人形浄瑠璃)の劇場の考察でより鮮明になる。文楽は、皆さんがご存知のように、日本独自の人形劇であり、主役級の人形は羽織袴を着て顔を出した3人の遣い手により演じられる。通常の人形劇では、遣い手は隠されるのが当たり前であり、この出遣いは極めて特殊である。さらに、出語りと言って、ストーリーを話し、登場人物の会話を語る太夫は三味線と一緒に舞台の上手袖(場合によっては下手袖にも)に登場する。すべての調和を考えるのであれば、こんなバラバラな演じ方は全くナンセンスなのであるが、それが実に面白い。これはどんな考え方で登場したのであろうか。おそらく、有名な人形の遣い手が隠れていてはその人形遣いのスキルが見られない、あるいは、義太夫をそのまま見たいという観客の要求を興業主が配慮して、すべての要素を見える化したのではないだろうか。しかし、これを可能にする演じ、鑑賞する姿勢は、どんな意味を持っているのだろうか。考えあぐねているときに、ベルトルト・ブレヒト(1898-1956)の異化作用の理論に出会った。ベルトルト・ブレヒトは叙事的演劇を提唱し、あえて違和感を与える演出を行った。すなわち、アリストテレスの考え方に基づき、西洋演劇の基本であるカタルシスによって感情に訴える演劇ではなく、物事の本質を批判的なまなざしで見つめなおすための演劇を提唱し、そのために、あえて感情移入したい場面に仮面を持ち込んだり、プラカードを提示したりして、違和感をあたえることによって、批判的に演劇に参加するように仕向けたのである。このような手法を彼は異化作用と呼んだ。彼の異化作用はアジアの演劇からヒントを得たようだが、文脈を変えてみると、文楽のように、様々な演劇要素がそれぞれ独り歩きし、観客が自らの意識の中で、そのバラバラな要素を再編成しながら観劇するような演劇の創り方は、異化作用の強い演劇と言えるのではないかということに思い至った。そうやって考えてみると、リヒャルト・ワーグナーのような、彼にすべての芸術的権限を集中し、彼が完璧に統合した楽劇を見せるようなやり方は、異化作用とは正反対に同化作用の強い舞台芸術であり、ワーグナーのつくったバイロイト祝祭劇場のような近代劇場形式は同化作用のつよい舞台芸術をするための空間であり、文楽劇場のような異化作用の強い劇場の創り方とは異なるものであることがはっきりとわかるのである。それに対して、これから異化作用の強い新しい舞台芸術が生まれてくるかどうかはわからないが、新しいそうした舞台芸術には、近代の劇場とは異なった作り方が必要になるかもしれない。

それから、もう一つ、重要な見る-見られる関係性を述べておきたい。それは、視軸の三角形という考え方である。これも伝統芸能の上演空間からのヒントである。江戸期の辻における漫才や講談などの上演風景を挿絵などで見ると、舞台に対して、縁台に観客は座り、半ばコの字型に舞台を囲むように見ている。現代の教室のように、すべての机といすが先生の方を向いているのとは異なる座り方である。そこでは、観客と演技者、そして、その反応を楽しむ別の観客という三角形が多様に形成されている。観劇においては、単に演技者、演技空間を合理的見るのではなく、それを楽しんでいる他の観客の反応が垣間見ることができ、共感が伝搬することが重要なのだと気づいた。この関係を視軸の三角形と呼ぶことにした。冒頭で述べたバロック時代のイタリア式劇場は現代の劇場に比べて、はるかに濃密な視軸の三角形が重層的に形成されている。現代の劇場は、確かによく見え、良く聞こえるかもしれないが、共感を伝搬する装置としては、弱い側面を持っているのである。

こうした考察を経て、筆者がかかわる劇場の設計においては、できるだけ多様な視軸の三角形が生まれるように努力をしてきた。そして、幸いなことに、そうした考え方に賛同してくれる建築家も多く、多数の劇場で、そうした空間を実現することができた。これは本当にうれしいことである。その中で特に印象に残るオーディトリアム空間を少し紹介しておきたい。

一つは建築設計競技によってえらばれた愛知県芸術劇場大ホール(設計:エイアンドティ建築研究所、1992年)である。これは我が国の劇場において、最も現代的な囲み型のオペラハウスの雰囲気を持つ劇場である。分割され、3層に重層化されて、そりのように舞台に向かって張り出す側面の客席群は多様な視軸の三角形を構築している。これは、ドイツで戦後開発されたスレッジ型のバルコニー席をさらに現代版にした設計であり、極めて合理的な設計になっている。舞台から客席を見ると、バルコニー席が両側面から舞台に迫ってきており、ここで演技する演者の気持ちを昂揚させる強い力を持っている。筆者が大変尊敬する香山壽夫も素晴らしい劇場を設計している。特に彩の国さいたま芸術劇場は創造する劇場としても歴史に残る劇場であるが、大ホール、小ホール、音楽ホールともに、側面にバルコニー席を持ち、多様な視軸を作り出している。大ホールは和と洋の不思議な折衷を意識的に行っているが、それが鑑賞する空間として落ち着いた雰囲気に仕上がっていて好ましい。そして、特に強調しておきたいのが、実験劇場として設定されている小劇場である。イタリアのテアトル・オリンピコとテアトル・ファルネーゼを合成したような作りでアダプタブル形式の劇場としてユニークであり、バロック演劇の重層性を建築空間としても表現している。可児市文化創造センターの主劇場もバルコニー席がぐるりと客席空間を取り巻き、重層する視軸の三角形を見事に作り出している。小劇場は、埼玉と同様のアダプタブル形式で多様な舞台と客席の関係を作り出すことができる。磯崎新も鈴木忠志と組んで素晴らしい劇場を作っている。特に、水戸芸術館の演劇劇場はシェークスピア劇場をモチーフにした円形の劇場が基本形であり、視線の交錯を意識的に作り出している。ほかにもいろいろと例示したい劇場がたくさん出来上がっている。こうした素晴らしい劇場をたくさん持っている私たちは幸せである。

  1. 清水裕之、劇場の構図、鹿島出版会、1985
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