芸術監督の部屋:公立文化施設物語

1-10 多目的ホールの改良(専用ホールへの道)

多目的ホールは、よく「無目的ホール」とか「帯に短し、襷に長し」と批判される。先に示したように、建築音響や舞台設備などの面で大きな妥協を強いられることも確かである。しかし、60年代から80年代にかけて多くの技術的改良がおこなわれてきたことも確かである。その改良についてできるだけわかりやすく説明したい。

ホールの建築音響設計については、ウォーレス・クレメント・セイビンが開発した残響時間の算出方法に基づいて計画されたボストン・シンフォニー・コンサートホール以来、日本でも様々なホールへの音響設計理論の適用が行われた。特に戦後においては、NHK技術研究所と東京大学生産技術研究所石井研究室が中心となって、模型実験によるホールの音響シミュレーションを開発し、それを実際のホール設計に生かしてきた。残響時間はオーディトリアム(舞台と客席)の空間ボリュームに比例し、その室の平均吸音力に反比例する。そして、その室の平均吸音力はその室をつくる建築素材一つ一つの吸音率をその面積にかけ合わせて、それらの値をすべての素材に対して足し合わせたものである。したがって、素材の吸音率のデータがなければ設計には役立たない。研究者やゼネコンの研究所、素材メーカーは積極的に素材の吸音率を測定し、実用データを積み重ねていった。このような地道な作業はあまり表に出てこないが、我が国のホールの音響設計が飛躍的に進んだ背景には、様々な人々の努力があったのである。そして、さらに、これらのデータの積み上げの上で、単に残響時間のみならず、人々の感覚と物理特性とを近づけるような様々な指標が研究者から提案されるなど、より、皮膚感覚に近い室音響特性を実現できるようになってきている。そして、同時に、コンピューターシミュレーションによる音響設計技術が進化し、模型実験のような大掛かりな作業をすることなく、高精度で完成後の室音響特性を把握できるようになっている。今、日本の劇場、音楽堂の音響設計技術は世界トップレベルといっていいと思う。

音響設計理論が充実しても、ホールの設計においては音響特性上のいろいろな妥協が要請される。妥協は専用コンサートホールの場合でも生じる。別稿で述べたように、例えばオルガンをコンサートホールに組み込もうとすると、オルガンのないコンサート、特にピアノ演奏などが求める響きとの妥協をしなければならない。ピアノをしっかり聴きたいと思えば、早いパッセージが理解できるようなやや短めの残響がいいが、オルガンでは、反対に長い残響が要請される。そのほか、声楽や時代によって異なるオーケストラの曲によっても、厳密には求められる響きの状況は異なるのである。建築音響設計はそのような多様性のある響きの要求に対して、ある程度幅のある響き環境の設定をしなければならない。東京大学生産技術研究所の石井教授は、大阪のザ・シンフォニーホールの設計において、指揮者の朝比奈隆と共同作業をしたとのことであるが、単に技術者のみならず、音楽界をまとめる力のある芸術家の参加が必要なのは、最終的には、芸術的バランスのなかで、計画を進行させなければならないからである。この点では、専用ホールにおいては、音響特性の妥協は少なからず必要であるが、中心となる音楽家との意思疎通が行いやすいことで、最終的に良い響きのホールが出来上がる確率が高い。

しかし、多目的ホールの場合は、ユーザーが音楽家ばかりではない。演劇関係者、歌舞伎や日舞などの伝統芸能関係者、集会関係者など、様々な人が計画に参画する。そして、それぞれのジャンルで要請される音響特性は異なる。近年ではどちらかというとクラシック音楽志向の多目的ホールが増えているため、響きは厚く長めになるように設定されることが多い。

設計上要請される響きを達成するには、舞台と客席の床壁天井を隙間なく閉じることが重要になる。しかし、これは、多目的ホールでは実はなかなか難しいのである。まず、ホールには穴がたくさんある。なぜかというと、舞台照明やポップスや講演会などで使われるスピーカーなどを設置するための穴をたくさんあけなければならないからである。また、多目的ホールの場合はクラシックコンサート用の音響反射板は、必要ない時には折りたたむなどしながら格納しなければならない。そのために、音響反射板の設置をスムーズに行うことができるように工夫すると、今度は、そのつなぎ目に隙間が生じてしまう。このような穴や隙間の存在すら、今日の音響設計にとっては看過できないほど、精密な計画が要求されているのである。そして、このような様々な調整を限定的な設計期間において成し遂げるためには、舞台芸術に造詣の深い建築家の優れたリーダーシップが必要になる。前川國男に始まり、最近では伊東豊雄、香山壽夫ら、劇場建築設計に秀でた建築家は、デザインのセンスはもちろんのこと、様々な技術者やアーチストが要請する様々な課題を真摯に解決する包容力の大きなまなざしを持っている。

可動式の音響反射板も大きく進化している。可動式音響反射板は通常、舞台の上を覆う天井反射板、側面を覆う側方音響反射板、そして、舞台の後ろを覆う正面反射板の3つに分解される。さらに天井反射板は状況に応じ、2,3枚に分割され、側方反射板も同様に分割される。そして、分割された反射板は舞台上部や舞台側方上部に吊り込まれて収納されるのである。先ほど示した響きの音響特性を達成するために、時代とともに音響反射板はどんどん分厚く重くなっていった。そうするとどんなことが起こるだろうか。ほとんどの舞台上部が音響反射板の収納スペースになってしまい、演劇やオペラ、バレエなどに使われる舞台美術(大道具セット)を吊り込む空間がなくなってしまうのである。クラシック音楽にとっていい環境になっても、演劇、オペラ、バレエなどにとっては大変使いづらいホールになってしまう。この矛盾をどのように調整するか。1970年代から80年代のホールでは、これが大きな課題となった。そんな中で登場したのが、蛇腹式の音響反射板である。渋谷にできたオーチャードホール(1989年)である。設計は石本建築事務所がおこなったが、クラシック音楽に造詣が深い建築家三上祐三が参加している。このホールは最高のコンサートホールとして機能し、さらにオペラやバレエもできるホールにしようという大胆な構想で作られた。そうした環境下で、画期的な音響反射板が開発された。ちょうどエビの甲羅のように側面反射板と天井反射板を一体化したコの字型の巨大フレームを舞台の前後に走行式にして、3重に重ねたものであった。これは非常に大胆な方法であったが、隙間のない音響反射板を設定でき、さらに、不要な時は畳み込んで舞台の後ろに転がして格納することで、舞台上部に演劇やオペラの専用劇場として必要な舞台装置の設営空間を十分に確保することができたのである。この方式はその後、びわ湖ホール、兵庫県芸術劇場など4面舞台を有する日本屈指の高性能多目的ホールなどに応用され、多目的対応能力を飛躍的に高めることになった。

次に述べたいのは多目的バトンの導入である。日本の多目的ホールの舞台上部には「吊り物」とよばれる設備がたくさんぶら下げられている。一般的には舞台幅いっぱいの長いパイプを吊っている。舞台上部には「すのこ」という作業床がしつらえられ、そこから多数のワイヤで、吊りものは吊り下げられている。大道具や照明機材、音響機材などは、この吊りものにぶら下げられ、必要に応じて昇降されるのである。吊りものの昇降は、昔は手動、つまり、舞台袖にあるガイドにしつらえられたロープを人間の手で操作することで行われた。今でも、古い劇場や公立文化施設には、手動の吊りもの設備が使われている。しかし、近年では、手動は操作が大変であり、事故も多いので、電動で昇降されることが一般的である。

吊りもの設備は、世界どの国の劇場にも使われている一般的な設備である。しかし、日本の多目的ホールでは、その使い方に独特の特徴がある。ヨーロッパやアメリカの劇場においては、緞帳類をのぞいて、吊りもの設備は大きく分けて2種類である。照明バトン、あるいは照明ブリッジといわれる舞台照明用の吊りもの設備と、単純にパイプが吊られるバトンと呼ばれる設備である。バトンには、必要に応じて大道具や幕などがぶら下げられ、演出に応じて上下される。バトンは、舞台手前から奥に向けて、15㎝から30㎝間隔で均質に設置されており、必要なところに必要な空のバトンを下ろして使うことができるようになっている。

ところが、日本の多目的ホールの吊り物にはあらかじめ様々なものが吊り込まれ、役割が決められているのである。具体的には、舞台のアクティングエリア(演技する区間)と人や物を待機させる舞台袖や舞台上部を見切るための黒い袖幕と一文字を吊るバトン、照明機材を作るバトン、映写幕を吊るバトン、ホリゾントを吊るバトンであり、そして、その間に音響反射板が設置される。道具バトンは、その隙間を練ってほんの少し設置されているに過ぎない。このような役割を決めてあらかじめ位置を特定して設備する方法では、使うモーターなどの種類や走行スピード、許容荷重などは個別に決められている。そして、舞台の利用に応じて、簡便に音響反射板を設置したり、スクリーンを下ろしたり、袖幕一文字を設定したりするのである。これは、毎日利用者が変わる多目的ホールで、その運営を少人数で速やかにするための工夫であった。しかし、演劇、オペラ、バレエなど舞台装置を多用する演目においては、必要な場所に必要なものを吊り込むことができずに苦労することになる。多目的ホールは無目的ホールといわれる多くの要因はこの舞台設備の在り方に起因する。

特に大きな課題は音響特性を重視した重くて厚い可動式音響反射板がフライタワーを占有してしまうことであった。不要な時は舞台の奥にそっくり格納できる蛇腹式(走行式)の音響反射板は、その矛盾を大きく軽減させることになった。音響反射板の収納場所がフライタワー内部から消えると、道具用のバトンと照明用のバトンを一定間隔で規則正しく配列することができる。映写幕や袖幕一文字も必要に応じて道具バトンに吊り込めばいいのである。ここで、ようやく、海外の劇場と同じようなフライタワーの条件がうまれたのである。日本では、そのようなレイアウトをするバトンを多目的バトンと呼ぶ。この多目的バトンはいつから普及するようになったのか。その背景は新国立劇場の動きがある。新国立劇場では、西洋のオペラハウスと同様の舞台設備を必要としたため、舞台機構においても多くの改良要求を突き付けた。そして、劇場技術者と舞台機構メーカーなどが協力してあたらしい設備の在り方を試みるようになったのである。その嚆矢が青山劇場(1985年)である。この杮落としには劇団四季によるミュージカル「ドリーミング」が行われたように、劇場設備の計画においても劇団四季が大きく関与していた。当時その傘下の劇場工学研究所は、藤本久徳らの指導で、新しい劇場の設備について最先端のコンサルティングをしていたが、日本の劇場への多目的バトンの導入は彼らの手で行われた。筆者も当時いろいろと学ばせてもらったが、舞台の床機構なども含めて、非常に挑戦的な開発を行っていたと記憶する。

多目的バトンは、その後、新国立劇場をはじめ、愛知県芸術劇場、東京芸術劇場、彩の国さいたま芸術劇場、世田谷パブリックセンター、浜松アクトシティ、びわ湖ホール、兵庫県立芸術劇場など様々な高機能ホールに導入され、日本のホールの水準を一気に高めた。また、セゾン劇場、東急文化村など民間の演劇やオペラ・バレエ対応の劇場は、ほどんど、この多目的バトンシステムに転換したと言っていいであろう。民間の劇場や4面舞台を持つ高機能ホールのみならず、劇場コンサルタントがしっかりと計画にかかわった市町村の多目的ホールでも、多目的バトン方式を導入しているものが多くなっている。高い技術力と理念のある舞台技術者がいて、演劇やオペラ、バレエなどが多く利用するホールにおいては、袖幕一文字を原則吊り込んではいるが、それらの設備仕様は多目的バトンと同等として、利用者の要求の必要に応じて位置を吊り替えたり、ほかの幕類へ交換したりするなどの手間を惜しまないところも出てきている。世田谷パブリックシアターは、佐藤信からの指示で、多くの舞台技術者が計画に携わり、多目的バトンを中心とする舞台機構を創り上げた。そこでは照明ブリッジ(バトンよりは幅を取るが、人が歩いて行けるブリッジ形状になった設備)すら、多目的バトンを利用して吊り込み、前後の移動を自由にする仕組みを導入している。これらの付け替えなどは非常に手間のかかるものであるが、計画に携わった舞台技術者が、開館後もそのまま舞台管理にあたることで、プロの利用者よりも劇場設備に詳しく、情熱のある舞台技術者の集団が常駐することとなり、苦労をいとわない高い創造性を生み出している。このように、計画段階から運営段階までシームレスな体制ができないと、いくら優れた舞台設備を導入しても、開館後の利用者が思うように使うことができないという事態が発生してしまう。そして、残念ながら、そのような断絶があるのが、一般的な公立文化施設の計画なのである。

多目的バトンの導入と連動して起こったのが、バトンの昇降速度の無段階調節とコンピューター制御である。1970年代ぐらいまでの公立文化施設では多くのバトンが手動かあるいは電動で断続的にスピードを切り替えるものであった。ドイツなどではすでに1950年代から重い大道具を自在のスピードで昇降させるバトンシステムの開発が進んでいたが、日本では残念ながら、価格のこともあり普及しなかった。しかし、新国立劇場の計画が進む中で、舞台設備の開発が促進され、多くの劇場の多目的バトンに無段階可変速が採用された。なぜ、無段階可変速のバトンが必要か。それは特にオペラやミュージカルに対応するためである。オペラやミュージカルでは、舞台の進行は音楽が仕切る。音楽のテンポに呼応して、緞帳の開け閉め、大道具や幕類が転換される。何秒で舞台の下から上まで装置が移動する、ということを要求されるのである。このためには道具バトン等のスピードはあらゆるスピードの自由に対応することが必要不可欠である。そして、多くの多目的バトンが無段階変速化されると、今度はそれらの同期が課題になる。いくつかのバトンを同時に動かしたり、あるいは時間差で動かしたりする必要性が生まれるのである。これを舞台操作係が操作盤の手元で正確かつ安全におこなうことは難しい。そこで登場したのが、コンピューターによる制御である。数秒に1回程度は変わる舞台演出であっても、1台、あるいは、あらかじめグループに設定した複数のバトンを同時、または時間差で動かすことが可能になったのである。新国立劇場の計画は、1980年代にこのように多くの多目的ホール、高機能ホールの高度化に少なからず貢献したのである。

多目的ホールがその発生当時から悩んできた課題に、歌舞伎や日本舞踊のような和物と洋物の対応がある。それはまずプロセニアムアーチの幅と高さに関連付けられる。歌舞伎劇場では明治以後、非常に広い間口が使われている。例えば歌舞伎座は28m近くもある。反対に舞台開口高さは7m弱である。三宅坂の国立劇場は間口22m、高さ6.3mである。一方、ドイツのオペラハウスは大きい劇場においても、舞台間口は17m以下、反対に高さは9m以上ある。劇場における舞台演出はすべて、プロセニアム間口の幅と高さによって規定される。和物と洋物で、このように大きな差があっては、そもそも劇場の設計が成り立たない。さらに問題を複雑にさせるのは、日本のオーケストラが18m以上の広い間口を演奏で要求することが多いということである。間口の狭い海外のオペラハウスにおいても月に1回程度はコンサートが行われ、フルオーケストラが乗るにもかかわらず、なぜか日本のオーケストラは広い幅を要求する。本当のところはなぜかわからないが、オーケストラピットのような狭い場所で通常演奏する海外の劇場付オーケストラは隣の演奏者と間が狭くても、演奏可能であるが、日本のオーケストラの演奏者はそうした経験に乏しく、ゆったりとした間隔を必要するという見解もある。

舞台の間口を広くすると、舞台の奥行きも深いものが必要になる。奥行きを同じにして、間口を広げると、客席からは舞台が扁平に見えてしまうからである。間口をひろげると、大道具の量も二乗で大きくなる。したがって費用もかさむ。現代舞台芸術にとっては舞台間口を必要最小限に設定し、奥行きは最大限欲しいというのが正直なところである。

このような間口問題は、低いプロセニアム高さは客席の上部からの照明を奥までとどかせることが難しくなるなど、舞台照明の当て方などの技術的課題も生む。この調整は多目的ホールでは永遠に続く論争になっている。しかし、現在のところ、和物の上演の衰退、オーケストラの意見の強さなどから、プロセニアムの幅は18m前後に設定することが一般的になっているようだ。私としては、可能であれば、17m以下にしたいところであるが。愛知県芸術劇場では、様々な論争の末、中のインナーポータルで16mに絞ることができるようにされ、ミュンヘンオペラハウスとほぼ同じ条件を満たしており、杮落としの引っ越し公演「影のない女」でも十分な対応ができた。しかし、新しい改修後、ポータルは廃止され、間口が建築間口として広げられたことはとても残念だ。また、日本の多目的ホールの悪癖である黒い袖幕で袖を縮める演出上の不細工さを露呈してしまう。ここに日本の舞台技術界の根深い歴史課題を見ることができると考えるのは筆者だけだろうか。私だったらどうしただろうか。今ならポータルの客席側を全面高解像度の液晶パネルとするだろう。こうすることで、舞台奥に展開されることが多くなる映像による表現と一体化することができるし、また、翻訳表示機能としても使うことができる。もっとも、先の愛知芸術劇場の改修工事はコストカットを目指していたので、こうした提案は受け入れられなかったと思うけど。

和物との調整では花道の扱いがある。多くのホールでは本格的な花道を設置しているところは少なく、大半は客席の側壁に沿った脇花道が使われている。しかし、この脇花道もプロセニアム開口間口を広げすぎる要因にもなっているのである。

上記のように、多目的ホールの技術は飛躍的な進歩を遂げてきた。しかし、多様な演目を行わざるを得ない多目的ホールでは依然解けない課題も多い。そうした中で、できれば専用ホールを作りたいという要求は常に生まれている。

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