芸術監督の部屋 第3部:プログラム提供型機関を作る

3-9 新型コロナウィルス禍を越えて新しいアートネットワークを作る

今、この原稿を書いているのは、ちょうど新型コロナウィルス禍の中で、最初の緊急事態解除宣言直後で、第2次感染爆発の影におびえつつも、委縮した経済の再生に向けて大きく舵を切り始めた時期である。コロナ禍は舞台芸術に大きな傷跡を残した。岡崎市民会館も多くの事業が中止に追い込まれ、アーティストの生活も想像以上に厳しい環境になった。

しかし、こうした厳しい環境の中でも、星野源が始め社会現象になった「うちで踊ろう」などのインターネットを通した音楽やパフォーマンスのコラボレーションや過去の公演作品のネット公開、無観客公演への挑戦など、いろいろな試みがなされている。そして、この現象は単に日本の中だけではなく、世界的現象として広がっているとことが、これまでにないものとなった。この現象が、どの様な未来を誕生させるのだろうか。舞台芸術の世界や公立文化施設の世界にどの様な変革をもたらすのであろうか。まずはマイナスな影響である。舞台芸術は、人と人が生身で出会うことで誕生する芸術である。人が密にならないと熱い環境は生まれない。コロナ禍は、その密な環境を破壊した。ライブハウスでクラスターが発生したことにより、劇場は悪所のようなレッテルを張られてしまった。もともと、劇場は、江戸時代には都市の特定な場所に隔離されていたことからもわかるように、芝居小屋と呼ばれた時代から官能を刺激する場所であったが、それゆえに社会の悪所でもあった。衛生面からも不特定多数の人が出入りする場所として社会から監視される場所でもあった。それが、明治の演劇改良運動や戦後のハイアート中心の芸術教育、劇場等の衛生環境の改善、サブカルチャーへの偏見の排除などを通して、多様な生き方を許容しつつ、人々の心を豊かにし、社会経済をけん引する場所に格上げされてきた経緯を持つ。しかし、今回のコロナ禍は、またしても、三密を誘引する衛生悪所としての側面を再認識させてしまった。これだけ、衛生環境が整った社会においても、感染症という見えない敵に対して、公立文化施設を含む劇場型施設は全くの無防備であるといえる。不特定多数という人が集まる場所という基本的な性質を持つ以上、これからも建築空間としては、可能な限り換気能力を高めたとせよ、感染症対策の大きな進歩を期待することはできないだろう。仮に、将来同じような事態が発生したとすると、同じように真っ先に閉鎖をされる宿命を負うであろう。観客の入場料収入に頼って経営を立てる民間のライブハウスや劇場は、こうした事態に対しては、大変脆弱で、存続の危機に立たされることになる。民間劇場の危機の時代として2000年代初頭がこれまでは語られてきた。バブル経済がはじけ、2000年代初頭には、民間劇場の経営環境が激変し、カザルスホールi、近鉄劇場iiなど有名な民間劇場が閉鎖された時代である。コロナ禍の後、同じような劇場の閉鎖が起こる危惧を強く感じる。特に、今回の場合、ぎりぎりの運営で頑張ってきた、小さなライブハウスや小劇場に影響が大きい可能性がある。これらの小さな劇場空間は、マイナーな分野のアーティストや駆け出しの劇団などを支えてきただけに、その影響は想像がつかない。何とか社会的支援が、こうした場の存続に行き渡るように考えられることを期待したい。

まず、否定的な影響を書いたが、この災いは、舞台芸術を次の世代に大きく変化させる契機になるかもしれない。アーティストの経済環境が危機的状況になったことで、生き残りをかけてネットなどを活用したアーティストの様々な露出が活発になっている。星野源「おうちで踊ろう」に代表されるように、そこにはいろいろな知恵による新しい絆が誕生している。特に、ネットを通して、映像、音楽、ダンス、しゃべりなどが融合を始め、新しいアーティスト同士の関係が生まれているようにも見える。おそらく、それは、ジャンルを超えた新しい芸術連携の中から新しい作品を生み出す原動力となるだろう。それは、あと1年後、2年後に生まれてくるような予感がある。それを期待したい。

ネット環境のつながりは、東京への一極集中の脱却を促すかもしれない。古くは、鈴木忠志による利賀山房に始まり、今日では、平田オリザらによる城崎国際アートセンターの活動、中島諒人らによる鳥の劇場にみるように、すでに過疎な地域においても世界的な活動を展開しているユニークな施設、活動が誕生している。東京で舞台芸術活動を行うよりは、むしろ、へき地において活動を行った方が、組織維持のための経常的経費は抑えられるし、地域活性化を期待する行政からの支援も得やすい。地域住民との関係性の作り方なども先達の経験があるため、やりやすくなっているのではないだろうか。今や舞台芸術は、個人や小さな組織と世界のネットワークが演劇祭などを通して結びつきやすくなっている。こうした活動を展開する限り、必ずしも東京に住み続ける必要性は少なくなっているのではないだろうか。要するに、だれが、地域と舞台芸術、あるいは才能のある人とそれを支える社会的な仕組みやネットワークを紡ぎだすかである。コロナ禍の後には、こうした動きを期待したいと思う。

三つ目は、ネット環境と舞台芸術の創造的連携である。先から述べているように、YouTubeなどのネットメディアを利用した芸術発信は、コロナ禍を契機に大きく活性化している。自宅待機の影響を受けて、単に発信のみならず、受け手の幅も大きく広がった。今までアクセスしなかった人もネット上のアート活動に接するようになったのである。世界の有名劇場、有名音楽堂の過去の公演も無料開放されるようになり、そのアクセスも容易になった。無料開放がいつまで続くかはわからないが、これまでは入場料を支払わなければ見られなかった作品がネット上にたくさん見られるようになったのは、優れた進歩ではないだろうか。もっとも、無料開放は緊急事態に対する対応であり、事業の継続性を考えると有料公開が一般的には妥当であろう。これからは、劇場、音楽堂での公演のネット上の公開が当たり前の時代になってゆくかもしれない。それは、舞台芸術の国際的な相対化が起こることでもあり、我が国においても、国で閉鎖された芸術活動よりも、世界に開かれた活動が優先されるようになるかもしれない。少なくとも、どんな舞台芸術活動においても、益々、世界を相手に展開することを視野に入れないといけない時代になるであろう。

ホールの収容人数も生の公演とネット配信を併用することで、今後、変化をするかもしれない。特に公立文化施設の場合、現在の大きな課題は、観客席規模に常に矛盾を抱えているということである。年数回のパッケージ型の買い取り公演の採算性を考えると客席は1,000席越え、2,000席越えといった大型が良いが、オリジナル作品の創造を考えたり、新しいアートの展開を積極的に考えたりする場合には150席とか300席とかといった小さい規模の方が、小回りが利く。そして、計画に際しては、どうしても大きい観客席数に引き寄せられてしまう。しかし、作品のネット配信が高品質でできるようになると、小さい観客席を選択し、そこを無理なく満員にしながら、ネットによる同時中継によって、多くの人のアクセスを稼ぐことを考えることができるのではないか。もちろん、生の体験と映像による配信は質の違いがある。しかし、ネット配信には、現地に足を運ぶ必要がない、録画を見ることができる、障害者など劇場に足を運ぶことが難しい人にもアクセスしやすくなるなどのメリットも多い。有料配信の場合は収支の改善にもつながる。そして、最も重要なのは、施設の建設費、維持費は大規模ホールにかかる負担が大きいため、最初から規模の小さい観客席を選択することで、施設規模を小さくし、管理運営にかかる固定費を低減しつつ、練習場やワークショップルームなどの充実やスタッフの充実を図ることができるという点である。ここにこれからの施設計画の変化を期待したい。

演劇、舞踊、音楽など様々な分野の横断的連携も進むのではないだろうか。少なくともコロナ禍は、分野間のバリアをかなり大きく取り払ったように思われる。それがどのようなコラボレーションを生み出すか、そこに大きな期待を寄せたい。コロナ禍を未来への展開の予兆と捉えておきたい。

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