芸術監督の部屋 第3部:プログラム提供型機関を作る

3-7 都市の創造性という大きな視点で活動する

2-4章の最後で、チャールズ・ランドリーによる「創造都市」の提言をきっかけとした、創造的都市論の高まりについて示唆した。ここで、改めて、創造的都市論をベースに考える公立文化施設の在り方を考えてみたい。

創造的都市論の根幹にあるのは、21世紀が、20世紀に支配的であった重厚長大産業から人間の創造力にもとづくソフト産業への転換が行われるという考え方である。実際に、現在世界をけん引しているのは、アマゾン、マイクロソフト、アップル、グーグルに代表されるIT産業であり、それに対して、造船、製鉄などのかつての花形産業は、今や影が極めて薄くなっている。自動車産業ですら、電気化、情報化が進行し、ソフト産業への移行を真剣に模索している。こうした時代には、新しい社会の革新技術を自由闊達に提案するクリエイターがどんどん生まれ、それを支える投資家や学術機関などの存在が地域に根を張り、それらを結びつける柔軟な社会システムが求められている。そうした社会の在り方を表象的に支えるのが、文化芸術であり、アーティストである。アーティストほど自由で柔軟な社会を期待する職業はおらず、彼らが自由闊達に活動できる社会は、あらゆる面で、創造的である可能性が高いのである。リチャート・フロリダのクリエイティブ都市論は「創造性は居心地の良い場所を求める」として、才能と生産性にみちた人々の集積がおこる人口集積地域が世界をけん引するとする。「創造都市への挑戦」iなどを記し、日本における創造都市の主導者である佐々木雅幸は産業と文化の息づく街をつくることが、これからの都市の在り方として非常に重要であるとして、伝統産業と新しい創造性との組み合わせをもつ、イタリアのボローニャ、金沢市や京都市の在り方をクローズアップさせている。そして、創造都市において、文化芸術の重要性を指摘している。たしかに、金沢は伝統工芸のみならず、金沢フィルなど地域にアーティストが根付く独自の文化芸術戦略を展開している。京都は、お茶、お花など伝統芸能の中心であると同時に、京都国際舞台芸術フェスティバル、京都国際ダンスワークショップフェスティバルなど、新しい国際的な舞台芸術発信の拠点になり、その存在感を高めつつある。筆者は、矢作弘をリーダーとする研究チームで、自動車産業が解体したのち、地域に残るサボワ王朝の遺産を活用しつつ、水と緑という自然の復活による住環境の整備により、再び地域の活性を取り戻し、人口の増加も始まったトリノ市を調査iiしているが、これも創造都市としての復活と考えて良いだろう。

創造都市論は、文化芸術をサポートするために提案されたものではない。むしろ、より大きく、都市の創造性を高め、才能ある人材を集積させることが、都市が生き残るために大切だと説いているのであるが、文化芸術を生み出し、かつ、支える人々が多く活動できる場所は、創造性を生み出す潜在能力が高いとも示唆している。この論調と公立文化施設とはあまり関連がなさそうに見えるが、実は、公立文化施設のプログラム提供機関(インスティテュート)化は、都市の創造性を支える重要な役割を担うことができることも示唆しているのである。公立文化施設の活動を都市の創造性という大きな視点で見直してみると、できることはたくさんある。まず、最も重要なのは、地域のアーティストの拠点としてしっかりと活動することである。短視眼的に、収支が黒字になるとして有名アーティストの招聘公演に終始するのではなく、地域のアーティストのプロ化とその質の向上を推進するような地道なプログラムを継続的に展開したり、例えば映像産業の新しい核となる映像作家を育てる意図で、舞台演出に積極的にオリジナルな映像を地域のアーティストに発注したり、地域の先端産業の担い手に、楽しい講演会をつくってもらい多くの子供たちに夢を紡ぎだすきっかけを提供したり、可能であれば、ロボット、AIなどのIT産業、あるいは大学の研究機関と連携して、面白い芸術作品を作ってみたりするような活動を、自由に豊かに構想することができると、公立文化施設が地域の将来に貢献する可能性を大きく膨らませることができるのではないだろうか。公立文化施設の活動を制限する枠組みなど、どこにもないのだから。

  1. 佐々木雅幸、創造都市への挑戦、岩波書店、2001年
  2. 脱工業化都市研究会、トリノの奇跡、藤原書店、2017年
あいち共同利用施設予約システム
近隣飲食店情報
あおい倶楽部
 

ページトップボタン