芸術監督の部屋 第3部:プログラム提供型機関を作る

3-4 プログラムの公共性

2-16において、公立文化施設の公共性について「作品に公共性を付与し支える役割」と「市民文化活動の公共圏を紡ぎだし、涵養する役割」があり、プロフェッショナル・リージョナルシアターとしての志向が強い公立文化施設においては、前者の役割が、リージョナルシアターとしての志向が強い公立文化施設においては、後者の役割が強くなると指摘した。それは言い換えると、作品創造というプログラムの公共性と「場」の公共性の二つの方向性であるといえるだろう。プログラム提供型機関としては、この二つの公共性のバランスを事業として、どのように展開するべきか考え続けてゆかねばならない。

本稿では、これまで、どちらかというと場の公共性について考察を加えてきた。そこで、ここでは、作品創造というプログラムの公共性について論じておきたい。

積極的にユニークな事業を行っている可児市文化創造センターでは、第一線で活躍する俳優・スタッフが1月半滞在したりして作品をつくる滞在型制作i(アーティストインレジデンス)を実施している。可児市文化創造センターが打ち出している、アーティストインレジデンスは、「あえて過去の優れた戯曲に焦点を当て、リメイクして作品を再評価するプロジェクト」というコンセプトを打ち出している。筆者はこの考え方に強く共感する。我が国の演劇は、基調が新作を上演する傾向が強く、過去の名作を再演する機会はなかなか生まれない。これに対して、海外の演劇劇場は、もちろん新作も時々行うが、過去の作品を現代に持ち込んで、現代の時代性を反映させた形で、次々と先鋭的な解釈を展開し続けている。過去の資産を大変尊重しているのである。演劇を対象とする地域のパブリックシアターは、むしろ、新作を常に上演し続けるというよりは、海外の公立劇場のように過去に作られた戯曲を公共財として蓄積し、時代に合わせてリフレッシュして世に問うことが重要であると考えたい。それは公共劇場のレパートリーとは何かという問につながる。世田谷パブリックシアターの立ち上げに参画し、現在富士見市民文化会館キラリふじみの館長を務める松井憲太郎は、「公共劇場の10年」iiにおいて、「演劇の公共性へ、ふたたび」という論考の中で「演劇劇場は公共財(レパートリー)となりえるか?」という問いを立てている。ここで注目したいのは、公共財をレパートリーとフリガナをふっていることである。公立文化施設が公的資金を使ってプログラムを作成するにあたり、何のために行うかを問うことは極めて重要である。ワークショップやアウトリーチ活動は、その活動そのものが教育普及活動であったり、社会包摂であったりと、社会的な活動の意味を直接込めやすい。しかし、公演事業になると、何を何のために公演するのか、その問いに常に答え続けてゆかなければならない。松井は、世田谷パブリックシアターの事業を検討するにあたり、日本の演劇作品は他者の生み出した戯曲を取り扱うことはほとんどなかったと述懐し、それに対して、「他の演劇人がそれを自分たちも活用できる演劇の公共的な財産、つまり日本の演劇のレパートリーとして捉えてみようという発想がそこにはなかった」ので、「レパートリーという視点をもって、演劇作品を公共的な財産としてとらえなおすことができないものかと考えていました。」と述べている。社会的に評判になって営業的にも黒字になれば、何でやる、つまり私有財として作品を考える商業劇場に対して、パブリックシアターが公的資金を使って、社会に貢献するところに意味があるとすると、そこが扱う公演作品は公共財としての意味を持たせないといけない。松井は、公共財としてのよりどころとして戯曲の蓄積をとらえ、その蓄積を社会に還元することにパブリックシアターの価値を見出しているのである。「自分たちの国の政治や文化の在り方、あるいは共有可能な価値の在り方を、他者とともに考え、発見する場として」、「新たな公論が生まれる公共的な言説空間として公共劇場は機能しつづけている。」という主張は、公共劇場が上演すべき作品の意味を的確に言い表している。プログラム提供型の公立文化施設の作品選定には、こうした理念設定が必要であり、レパートリーづくりには特に神経を払うべきだろう。

もちろん新作を提供することを否定するものではない。時代を作ってゆくためには新しい作品を世に問うことも大切である。しかし、その頻度をあまり高くする必要なないのではないか。また、作品創造において、価値を一義的に押し付けることは慎まなくてはならない。シェークスピアなどの作品からもわかるように、優れた作品から読み取ることができる価値、あるいは解釈の幅は無限に大きい。作品づくりには、人生の生き方、社会や他者との関わり方に、多様な理解ができるように配慮することが大切である。社会の様々な課題に対して様々な価値観があり、様々な対応があることを前提に、それらを相対的に観察し、背景を理解し、自らの考え方を確立することができる力を身に付けるための支援をすることがプログラムの公共性ではないかと思う。

  1. ala Collectionシリーズ、https://www.kpac.or.jp/project/alacollection.html、accessed 2020.08.7
  2. 松井憲太郎、演劇作品は公共財(レパートリー)となりうるか?、演劇の公共圏へ、ふたたび、公共劇場の10年、美学出版、2010、p.201-203
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