芸術監督の部屋 第2部:プログラム提供型機関としての諸課題

2-18 戦後の芸術関連団体と地域の文化振興に関する国の補助金

文化庁は1968年に設置されたが、それ以前から、芸術関連団体への国の補助金は文部省社会教育局、文化局により五月雨式に始まっている。その嚆矢は1959年に始まった大阪国際フェスティバル協会への支援であるi。1960年には社団法人児童演劇協会への支援が、1961年には地方オーケストラへの支援が開始され、1964年からは本格的に芸術関係団体補助金の交付が始まり、翌年の65年にはバレエ、オペラ、現代舞踊、邦楽等の各団体に対する創作活動助成が行われ、それらは1968年度以後、文化庁に引き継がれた。1978年度からは芸術関係団体補助金は民間芸術等振興費補助金(のちの民間芸術活動費特別補助)に名称変更された。そして、さらに、1986年に民間芸術等活動費特別補助に名称変更され、同時に、日米舞台芸術交流事業が、翌年には優秀舞台芸術公演奨励事業、翌々年には芸術活動特別推進事業が追加された。すなわち、80年代末に芸術団体に対する助成の枠組みが拡大されている。これが、後ほど述べる1996年のアーツプラン21の展開につながっている。これらの芸術関係団体への助成は職業芸術団体への助成が中心である。地方のオーケストラを除き、大半の職業芸術団体が東京に集中していたため、助成対象は中央に集中していた。芸術家の在外研修への助成は文化庁が始まる1年前の1967年に開始され、1977年には国内研修が追加され、1990年からは海外芸術家招聘研修が追加された。

文化庁は1967年度(昭和42年度)から1995年度まで、地方自治体に対して「地方文化施設整備費補助金」を交付した。この補助金の対象は「地域の住民に、音楽、演劇、美術等の鑑賞又は創造活動の機会を与えるため、音楽堂、劇場、展示場等の機能を併せ持つ施設」iiであった。また、補助金の設置基準は、「<補助事業の内容>1)音楽堂、劇場、展示場等の機能を果たす文化施設のうち、ホール、展示場及びこれらに付帯する施設の部分の建築事業。2)ホール、展示場及びこれらに付帯する施設の部分の床面積は、1500㎡以上iiiで、かつ、ホールの固定席は500席以上であること。3)建物に地域住民のための練習室(防音装置を施したもの)を3室程度有すること。<交付の対象>原則として、都道府県、人口10万人以上の都市、及び広域市町村圏振興整備措置要綱に基づき設置された広域市町村圏における中心市街地が存する都市が設定する施設」ivとなっていた。なお、この補助金は、使命をおおむね達成したとして1995年まで継続した以後、廃止されているv

地方文化施設整備費補助金は公立文化施設というハードに対する補助金であり、この補助金により、1960年代後半から80年代にかけて、各地の公立文化施設建設が加速された。1988年に文化庁から発行された「我が国の文化と文化行政」によると、「昭和52年には 527館であったが,昭和60年には1036館となり 8年間でほぼ倍増している。」viと記録されている。同時に、文化庁はソフトに対する支援も徐々に充実させてゆく。閔鎭京によると「ソフト事業と融合させることによって普及につなげ、地方芸術文化の振興を総合的に図れることに「地方文化施設整備費補助金」の制作的コンセプトが潜んでいる。」viiのである。

この時代の文化庁の公立文化施設に対するソフト支援の中核は、移動芸術祭、子ども芸術劇場、青少年芸術劇場などの地方巡回公演である。これは、中央の劇団や楽団が地方へ作品を巡回させるための支援である。また、これらと並行して、都道府県文化活動費補助(1967年度から開始、1977年に都道府県の補助に加え市町村への補助も追加されて、地方文化振興費補助金に名称統一)、地方文化施設自主事業促進費補助viii(1973年度から開始)など、行政、及びその施設に対する助成も始められた。なお、地方文化振興費補助金は1986年に国民文化祭に切り替えられている。

国の文化政策のみならず、地方自治体の側でも、教育行政と文化行政の切り分け、文化振興法の設置が議論され、また、首長部局に文化課が設置されるなど、地域の文化芸術活動への支援の枠組みが整ってゆく。ix同時に、文化芸術団体等への助成が普及するに伴い、その受け皿を作る意味において、文化協会等の設置など、地域の文化団体の組織化がすすめられた。

国の文化政策と地域の文化行政との違いも次第に明確になってゆく。移動芸術祭、子ども芸術劇場、青少年芸術劇場の巡回公演に見るように、国の地域への助成制度はプロの文化芸術団体が東京に一極集中しているという現実に立脚して、彼らが提供する優れた舞台芸術を全国各地に巡回させて、地域の文化芸術享受環境の向上を図るという意図を強く持っていた。いわゆる文化芸術的な視点からの支援である。それに対して、市町村の文化芸術団体は、芸術作品を“生産(創造)”することを職業とする劇団や楽団の存在は少なく、大半は芸術活動を趣味として”消費“するアマチュア活動や、”生産“であっても、レッスンプロとしての教室活動であった。すなわち、地域の文化芸術活動は、生産者の生活を経済的に支えるというよりは、むしろ、人々の日常生活の質を高めたり、心を豊かにしたりするための消費活動として理解しなければならない。つまり、地域のアマチュアの文化芸術活動は生活文化的視点が強い。

さらに、地域の文化芸術活動の範囲は広く、様々な団体による様々な活動が含まれてる。多様な文化芸術ジャンルのアマチュアとその指導者としての先生を中心とする幅広な文化芸術団体の活動にどのように支援をするべきなのか。文化芸術団体の活動に優劣をつけることは難しい。社会的に、個別の団体や個人の芸術家の活動を評価する仕組みや考え方も成熟していなかった。そこで、地方公共団体は、それらを束ねる支援のための社会的仕組みの構築を考えた。即ち、文化協会などと呼ばれる文化芸術団体の連合組織の立ち上げである。地域の文化芸術団体や個人の「共益的」な仕組みである文化協会等を中間に設定することによって、助成の配分を受け手側の仕組みに委ねたのである。また、公立文化施設の利用についても、地域の文化芸術団体の利用促進を図るために、文化協会等に加盟している団体には優先利用をさせる設置条例を設ける自治体も生まれた。

今、文化協会等を共益型の団体と称したが、ここで、共益性と公益性について考えておかなければならない。ある社会的な団体が共益性を持つということは、その団体が、そのメンバーの共通の利益のために活動をするということである。構成員一人一人では難しい社会的発言や事業を構成員全体の利益のために行う組織である。先ほど述べた文化協会等と呼ばれる地域の文化芸術団体は、構成員のための補助金の受け皿になったり、あるいは、公立文化施設の利用における優先利用などの根拠づけになったりするという意味で、共益的性格が強い。これに対して、公益性の強い社会的団体とはどういうものであろうか。それは、団体の構成員が、ある社会的課題への対応などを意識して、構成員以外、つまり組織の外側の人々や社会の利益に向けて活動する団体である。今日では、公的助成が利益誘導を極力排し、社会に広く影響を及ぼすことを強く意識するようになっており、活動の公益性を尊重するようになっている。しかし、共益性の強い活動に対する助成を否定するものではない。ただし、共益性の強い団体に公的支援を行う場合には、その共益性が、公益に等しくなるほどに広く社会に影響力を与えることができるかどうかで判断しなくてはならないだろう。一部特定のメンバーだけに限定されるような共益性は社会的支援の対象にはなりにくいのである。文化協会等が公的支援の対象となり得たのは、結成当初は、行政の指導などもあり、ほぼ、大半の地域の文化団体が参加する形で結成され、公益性に近い共益性をもっていたからである。もし、この状況が変化したら、公的支援の根拠は失われることになる。

中央では、文化芸術団体や公立文化施設の組織化は60年代を中心に促進されている。全国の公立文化施設を束ねる全国公立文化施設協議会x(1961年)、演劇集団の集まりである新劇団協議会(1956年、現在は公益社団法人日本劇団協議会)、社団法人日本芸能実演家団体協議会(1967年)などが現在でも幅広の活動を展開している。新劇団協議会は巡回公演の受け皿としても機能していたが、中央団体の組織化は芸術家の権利擁護、国への文化政策への提言能力の強化、情報共有など幅広の内容による文化芸術活動強化へ向けられていた。これら全国規模の文化芸術関連の団体は、それぞれの活動に対する社会性を担保するために、調査研究機能や政策提言機能、非会員に対する情報の公開などをとおして、次第に共益性中心の活動から公益性を獲得する方向に活動を転換させてきている。

話を元に戻したい。公立文化施設の全国的整備を基軸にして、その整備を活用する形で、東京を中心としたプロの芸術家、芸術集団の地方への巡回を促進することによる地域における優れた文化芸術に触れる機会の向上と、アマチュアを中心とする地域の文化芸術団体の支援のための組織化が図られたのが、70年代、80年代の補助金であったといえよう。すなわち、この時代の補助金は二つの大きな特徴を持っていた。一つはハードの整備が中心であり、ソフトへの助成はその活用という観点から行われたこと、二つ目は、特に地域の場合に顕著であるが、文化芸術団体への助成は文化芸術団体の組織化を通して行われた点である。三つ目は、職業芸術団体への助成において、その選定や助成金の成果に対する評価などの仕組みが整っていないことであった。のちにこの三つの性格は批判的に眺められることになる。一つ目については、1980年代にハード偏重が指摘されるようになり、ハードに対する助成は抑制され、ソフト重視の補助金、助成金の仕組みに切り替わってゆく。二つ目は、三つ目の課題と連動するものである。地域の文化芸術活動への支援が、文化芸術団体の共益的組織化を通して行われたことに対する社会的な批判である。1960年代当初には、地域の文化芸術活動を推進するための助成は総額として多くはなく、また、どこにどの様に助成をするのかという理論的な枠組みも十分に形成されていかなった。したがって、公的な助成を直接、ある特定の文化芸術団体に選択的に助成することには躊躇があったと考えられる。そこで、文化芸術団体の連合体としての中間団体を結成させて、それらを介して助成を行い、さらに、その助成の具体的配分方法も中間団体に委ねてしまうことで、公的機関の助成に対する説明責任を回避する方法が取られたと考えられる。三つ目については、民間芸術団体等振興費補助金が主に該当する。そもそも、文化芸術活動は極めて私的な行為である。しかし、文化芸術を行うことが私的な行為であっても、人々が生き生きと暮らす力を当事者のみならず広く社会に対して提供する根源的力を持つこと、また、国際的なプレゼンスを高めたり、人々がお互いに違うことを認識しつつ尊重する多様性社会を涵養したり、経済効果を盛り上げたりする社会的・経済的価値を有することなどが、社会として芸術活動を支援する根拠になっている。ただし、それでは、私的な活動性が強い多様な文化芸術活動から何を助成の対象として選択するのか、その結果をどのように評価するのかという枠組みについては、80年代までは十分に研究されてこなかった。ハードに大きく依存した助成、共益的な中間団体を介した助成、そして、私的性格の強い文化芸術活動への助成のための選択と評価の仕組みと理論の構築というの三つの課題が残されたのである。

  1. 独立行政法人日本芸術文化振興会、平成24年度文化庁委託事業 芸術文化活動に対する助成制度に関する調査分析事業報告書、p.4 https://www.ntj.jac.go.jp/assets/files/kikin/artscouncil/report.pdf、accessed 2020.06.02
  2. 公共施設財源便覧、ぎょうせい、1980年
  3. 1969年度の交付要綱では1,000㎡以上、1973年度は2,000㎡以上、1974年度では1, 500㎡以上と変動している。閔鎭京、佐藤良子、公立文化施設の建設に対するここ補助の廃止から廃止まで(1)、北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)、第67巻、第1号、2016年、p.148
  4. 地方文化施設整備費補助金交付要綱、文化庁
  5. 公立文化施設整備費補助金の終了、「文化会館の設置がおおむね全国的に行き渡ったことに加え、自治省(当時)の建設支援事業のほうが有利であったこと、また総務庁(当時)により廃止を含めた勧告を受けたこともあり終了となった。」、平成24年度文化庁委託事業 芸術文化活動に対する助成制度に関する調査分析事業報告書、同上、p.5
  6. 文化庁、我が国の文化と文化行政、1988年、P.97
  7. 閔鎭京、佐藤良子、「公立文化施設の建設に対する国庫補助の開始から廃止まで(1):「地方文化施設整備費補助金」のコンセプトとその意義、北海道教育大学紀要、人文科学・社会科学編、67(1)、pp.141-158
  8. 閔鎭京、佐藤良子、同上、p.146,158
  9. 清水裕之、文化会館の構造転換 必要性とその方向、東京大学博士論文、第2章文化会館をめぐる文化行政、1983年、https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail& item_id=8640&item_no=1&page_id=28&block_id=31、accessed 2020.6
  10. 全国公立文化施設協議会、当初23館の参加により1961年発足、1995年に会員数1182館で社団法人全国公立文化施設協会に組織替え、2013年に内閣府の認定により公益社団法人全国公立文化施設協会に組織替え、2020年時点で正会員1305施設。
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