芸術監督の部屋 第2部:プログラム提供型機関としての諸課題

2-17 公立文化施設の公共圏と芸術監督の役割

拙著「21世紀の地域劇場」iにおいて、公立文化施設の存在意義として、公共圏の形成機能の重要さを示した。この主張は多くの方に評価していただき、その後、特に演劇の領域で公共性の議論が盛んにおこなわれるようになったことはうれしい限りである。筆者が公立文化施設の公共性に注目するようになったのは、佐藤信と一緒に世田谷パブリックシアターを立ち上げた経験と、博士論文を執筆中の学生時代に、現東京大学教授の吉見俊哉からJ.ハーバーマスの「公共性の構造転換」を薦められたことがきっかけである。花田達郎の「公共圏という名の社会空間―公共圏、メディア、市民社会」iiにも強い刺激を受けた。特に公共性という用語の背景には空間概念があり、公共圏という言葉を使うのが適切であると指摘している部分に共感した。空間概念といっても物理的空間概念ではなく、もちろん、観念的な空間概念であるが、公立文化施設という公の施設の枠組みに公共圏という言葉がぴったりくると感じたのである。斎藤純一iiiからは公共性と開かれていることとの関係性について学んだ。公共性のドイツ語であるOeffentlichkeitが開かれの意味を持つことを改めて認識した。こうした先達の考察をもとに、「21世紀の地域劇場」においては公共圏と公立文化施設の関係について考察したのである。

そして、公共圏を主観性の強い芸術分野の事業とつなぐために、あえて、芸術監督という個に作品の選択や地域との関わり方を説明させる必要があることを指摘したiv。これは本論の第一部でも述べたことである。また、「21世紀の地域劇場」では、これからの公立文化施設はプロフェッショナルリージョナルシアターの志向とコニュニティシアターの志向に大きく二つの視点があることを示したv。ここでは、第一部で考察したオルタナティブ空間としてのアートセンターを、これからの公立文化施設の方向性を示す重要な視点と認識し、地域性の中で新しいアートを紡ぐ役割を担うアートセンターをもう一つの類型として付け加えておきたい。

それでは、それらの類型における公共性の議論と芸術監督の役割をさらに展開する考察をしてみよう。2000年以後、公立文化施設(公共劇場)における公共性について、いくつかの論が展開されている。公立文化施設の公共性と芸術監督の関係性に正面から取り組んでいるのは、藤野一夫編の「公共文化施設の公共性」viである。藤野は社団法人日本芸能実演家団体協議会(芸団協)が劇場法の制定を目指して提出した「社会の活力と創造的な発展をつくりだす劇場法(仮称)の提言」における芸術監督論として芸術部門の責任者としての芸術監督像や国立劇場における芸術監督選考における演劇人との軋轢などを示しながら、公共劇場の顔としての芸術監督の在り方の難しさを論じている。

その中で、筆者は国立劇場の芸術監督を務めた鵜山仁の言葉に注目した。それは「個と公がいかに良き確執を醸すかが大事だとおもいます。」viiという言葉である。筆者が我が国の公立文化施設の芸術監督像の一方向として考えるのは、芸術監督という具現的公共性による私的作品の社会化である。個人あるいは個人の連携による創造の結果である私性の強い作品を、芸術監督のビジョンと選択眼を通して文芸的公共圏という社会空間に開いて持ち出し、社会的価値として示すことが芸術監督の重要な責務ではないだろうか。それは言い換えると、アーチストの私的成果物としての作品に、その選択、制作、及び解説などをとおして、開かれた事業プログラムとしての公共的性格を付与し、支える役割(作品に公共性を付与し支える役割)である。もちろん、芸術監督が創造に直接かかわることも含まれる。

鈴木忠志は、静岡県舞台芸術センターを設立するにあたり、芸術創造に関する予算執行権と人事権を芸術監督に付与するように腐心している。それは、芸術監督の下で創られる作品創造の全権を芸術監督の専管事項として確保するために必要だと考えたからである。しかし、我が国の多くの公立文化施設における芸術監督にはそのような権限は与えられていない。むしろ、館長から職員への指示系統には直接関係づけられず、アドバイザー的な位置づけが多い。そうした関係性の中では、作品創造における芸術監督の主体性の保証と、結果に対する社会的責務の負い方とのバランスが良くないことは否めない。この点については、今後改善することが求められている。

「公共劇場の10年」viiiも基本的に作品に公共性を付与し支える役割としての芸術監督論に基づいていると思われる。

藤野はこのような芸術監督像に対して、佐藤信が座・高円寺で試みた芸術監督像を対比させている。藤野は、佐藤の考え方は「劇場は「空き地」として、色々な人々によって色々な使われ方がなされるようになったとき、そこに佐藤が理想とする、公共劇場の<公共性>が見出されるであろう。」ixと指摘している。このことに筆者は強く共感する。すなわち、芸術監督を、公立文化施設で多様に発生する市民文化活動を紡ぎ、(文芸的)公共圏を涵養する役割とする考え方である(市民文化活動の公共圏を紡ぎだし、涵養する役割)。

筆者は、この二つの方向、すなわち、「作品に公共性を付与し支える役割」と「市民文化活動の公共圏を紡ぎだし、涵養する役割」は今後並走すると考えている。そして、プロフェッショナルリージョナルシアターとしての志向が強い公立文化施設においては、前者の役割が、リージョナルシアターとしての志向が強い公立文化施設においては、後者の役割が強くなると考えている。ただし、プロフェッショナルリージョナルシアターにおいても、ヨーロッパの動きを見てもわかるように、劇場の社会的機能をより広くとらえ、社会包摂機能を獲得する方向にシフトしている。こうした中では、芸術監督の役割は、コミュニティシアターの機能に近づいてきているように感じるのである。参加型の計画プロセスも、ボランティアの参加も、ワークショップやアウトリーチ活動のような教育・普及活動の重視の傾向も、すべて、市民文化活動の公共圏を紡ぎだし、涵養する役割の重要性が増しているように思われるのである。また、3つ目の類型としてのアートセンターの役割を考えてみる。それは、すでに各地で立ち上がっている事例が参考になる。それらは、すでに完成形として出来上がったアートというよりは、若いアーチストを中心に生み出される、まだ何か先が見えないが、可能性がいっぱいあるアート活動を支えようとしているところに特色がある。そして、それは、まだ、マイナーであるからこそ、その地域に根を下ろすアーチストやそのサポーターを大切にしつつ、しかしながら、地域に閉じることなく世界に目を開いているようにも思われるのである。いいかえれば、それは地域性の中で新しいアートを紡ぎだす役割を追っていると考えられる。こうした役割もこれからの公立文化施設には不可欠な要素になるに違いない。芸術監督は、これらの異なる役割に対して柔軟であるべきであろう。

  1. 清水裕之、21世紀の地域劇場、鹿島出版会、1999年
  2. 花田達朗、公共圏という名の社会空間―公共圏、メディア、市民社会、木鐸社、1996 年
  3. 斎藤純一、公共性、岩波書店、2000年
  4. 清水裕之、21世紀の地域劇場、同上、p.223
  5. 同上、p.223
  6. 藤野一夫編、公共文化施設の公共性、水曜社、2011年、p.49
  7. 同上、p.107
  8. 伊藤裕夫、松井憲太郎、小林真理編、公共劇場の10年 舞台芸術・演劇の公共性の現在と未来、美学出版、2010年
  9. 藤野一夫編、同上、p.123
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