芸術監督の部屋 第2部:プログラム提供型機関としての諸課題

2-3 鑑賞型事業の投資費用の回収は年を追うごとに難しくなっている

公立文化施設の鑑賞型事業は民間の創造組織に依存している。そしてそれらは、大都市圏、特に東京圏に一極集中している。地域でいいものを見せようとすると彼らに依存せざるを得ない。

戦後の公立文化施設の自主事業を大きくけん引してきた舞台芸術の分野は、クラシック音楽、オペラ、バレエ、演劇などハイアートと呼ばれるジャンルであった。しかし、これらハイアートの愛好者は団塊の世代が中心であり、現在、高齢化が目立つようになった。団塊の世代が次第に鬼籍に入るであろう20年後には、鑑賞者が激減してしまうのではないかと懸念されている。

歌舞伎や落語などの伝統芸能も、伝統文化の継承という意味で、公的資金が投入しやすい分野であるが、一部熱心な愛好者はいるものの、若い鑑賞者の割合は減少している。ハイアートのみならず、貸館で地元の放送局や興行主が行い、かつては自己採算性が採れていた演歌、歌唱ショーなどですら、地方都市では、民間の興業主の体力が落ち、観客離れが進行している。若い人々が好むJPOP、KPOPなどの公演においても、映像などを多用する大掛かりな演出とそれを支える大きなスタッフチームが必要であり、大規模でも2000席程度の公立文化施設のホールは、採算を考えると1公演あたりの観客収容力が小さすぎ、1万人単位で入場者を稼ぐことができるドームなどの大型施設の利用に偏る傾向にある。また、チケット収入だけではなく、グッズ販売にも大きく依存するようになっている。そうした傾向は音楽配信システムやSNSなど個人の通信環境、情報収集環境の動向と連動して刻一刻と変化しているようだ。

ポップスばかりではなく、すべての舞台芸術の分野において、人件費の高騰、舞台設備の高度化にともなう諸経費の高騰などから、舞台公演の製作費はうなぎのぼりに上昇している。すなわち、公立文化施設の主ホールの中心的な1000人から2000人程度の規模では、制作費に見合う集客を行い、数千円のチケットを販売することで事業採算をとるシステムそのものの成立が厳しくなっているのである。ボーモルとボウエン1はこのような現象を、オーケストラの経営分析から導き出し、文化経済学の分野ではコスト病と呼ばれているが、その現象はますます著しくなっていると言えるだろう。

こうした環境においては、社会がある程度の公的負担を認めるハイアートの公演であっても、自主事業における公立文化施設の持ち出しは極めて大きくなり、支出の抑制を中心に行財政改革が進む現在では、公演が実行できる規模の公的資金を投入することの了解が難しくなっている。観客の嗜好という支持基盤を失う中で、今後も現状の規模の自主事業が続けられるであろうか難しい状況になっているのである。

自主事業の投資費用を回収することはどのように難しいのか、試算してみよう。客席に見合うように支出(制作費、技術料、スタッフ経費等)を抑制的にコントロールし、チケット収入をそれ以上に設定し、完売させれば理屈上は、黒字収支は可能である。しかし、それが実質上は極めて難しい。

例えば、1000人のホールでクラシックコンサートを企画するとしよう。人口20万人から30万人の中核都市クラスにおいても、公立文化施設の管理者であれば、客席の8割以上を売り上げるのはかなり難しいと感じるだろう。仮に4000円のチケット料金で800枚チケットを売り上げたとする。4000円のチケットというのは、大都市圏以外では、それ自体かなり高額な金額である。合計で、320万円の収入である。しかし、この金額は、オーケストラを一公演お願いするにはあまりにも少ない。有名指揮者、有名独奏者などをお願いすれば、公演委託料が1000万円を超えることは例外ではない。

オーケストラを招聘するには、単に公演料だけの支出では済まない。遠く離れた地域においては、交通費、宿泊費が100万円単位で追加される。指定管理者制度で民間がホール管理を行っている場合、自主事業であっても、施設の利用料金を計上しないといけないケースもある。ピアノを使えば、調律費用が必要になる。音響機材や照明機材の設置などで、専門の業者に作業を依頼しないといけない場合もあろう。チラシやポスターのデザイン、印刷、配布の費用も掛かる。仮に事業にかかるすべての費用を1000万円とすると、1000席満席にするつもりでチケット価格を1万円以上に設定しないと費用を回収できないことになる。しかし、現実には、多くの地域では1万円以上のチケットを購入することができる観客の数は決して多くないだろう。したがって、リーズナブルなチケット料金で、名前の知れたオーケストラのコンサートを行うには、事業経費と収入の差額を埋める公的補填や、あるいは、助成金、寄付金などの外部資金が必要になる。

演劇公演の場合は、相場として、あるいは、出演者の人数が少ないことで、出演料は上記の例よりは一般に安く抑えられるが、反対に舞台美術製作やその輸送にかかる経費や、舞台照明、舞台音響、舞台転換などのスタッフ費用が多く必要になる。結果はオーケストラの場合と同様である。外形的にみれば、収支をトントンにするには、例えば、800万円程度に総支出を押さえ、一人8千円以上のチケットで満席にしなければならない。これは地域の観客の支出からも、公立文化施設の事業費における公的負担という面からも極めて厳しい。

こうした現状を乗り切る方策も考えられている。例えば、演劇の分野では、劇団側で全国巡回公演を企画し、各地の公立文化施設に営業をかけ、連続して公演を行うことで、トータルにかかる交通費などを抑制し、1ホールの公演料を抑える計画を古くから行っている。公立文化施設側でも、近隣、あるいは交流のあるホール同士が連携し、同じ演目を順番に巡回するようなスケジュールを組むことで、トータルコストを抑えるような計画も多くなってきている。財団法人地域創造では地域の文化・芸術活動助成事業の一環で、複数の地方公共団体等が連携して実施する事業に助成をおこなっており、民間が運営する地域の演劇鑑賞会などもこのスキームで運営を行っている。しかし、こうした努力だけでは、鑑賞型の自主事業の赤字を埋めることは難しく、また、全国どこでも同じような公演となる金太郎あめ現象を助長することにもなる。

公立文化施設の鑑賞型プログラムはハイアートを中心に組まれてきたことはすでに述べたとおりである。しかし、近年、クラシックコンサート、オペラ、バレエ、演劇などの鑑賞人口の高齢化は著しく、それに対して若い鑑賞者が増加していない。よほど知名度の高い出演者でないと客席を埋めることはできない状況になっている。さらに、少子高齢化による行政の財政悪化などに伴い、文化予算の削減や公共施設の運営費削減が厳しくなっている。こうした環境の中で真っ先に削減対象になるのが、文化芸術関連予算であり、特に鑑賞型プログラムにかかる事業予算の削減が進んでいる。

文化芸術への公的支援の考え方も変化している。20世紀後半は、景気が良かったこともあり、文化芸術関連予算が増加し、ハイアートを中心に公立文化施設の事業予算も膨らんできた。地域格差の是正、ものから心の重視というようなスローガンのもと、有名オーケストラ、バレエ、オペラ、演劇などの公演に多くの公的予算が配分された。こうしたハイアートの公演は、バブルが終了すると同時に頭打ちになったものの、引き続き、各地の公立文化ホールの事業として採用されてきている。しかし、こうしたハイアートを公的資金で支援することの根拠は十分に深化されることはなかった。芸術、特にハイアートの分野は、ほかのものに価値として勝るもので、社会がそれをサポートしなくてはならないという考え方は、社会で徐々に通用しなくなっている。ハイアートの公演を鑑賞するのは、学歴が高く、収入が多いある特定の社会層に限られるといった傾向も文化経済学の分野では常識的な認識になり、もっと多くの人々がアクセスできる鑑賞事業を探るようになっている。ただし、客が入るからといって、ポップス公演、歌謡曲公演などをやることについても、今度は、それらは営利活動でチケットが売れているのだから公的資金を投入する必然性はあるのかという議論が生まれる。公演を行うことが地域経済に活性化になるかというと、むしろ、提供元の大都市へ、地域の観客の財力をポンプアウトするだけで、公的支援を入れても、地域と中央の文化的経済格差をむしろ助長してしまう現状もある。つまり、芸術の価値論からも、経済論からも公的資金で鑑賞型プログラムを提供する社会的意味が希薄化しているのである。

今、公立文化施設が鑑賞型プログラムを提供する理由は、1)せっかくホールがあっても貸館対応しているだけでは、鑑賞型の企画が行われない状況が生まれるという危機感、すなわち、手打ち、つまり、自らの資金を提供して、事業を実施する地域のプロモーターや鑑賞団体がなくなってきたため、ホールが事業をあえて実施しないと誰もホールを使った公演を行わない状況の常態化への危惧が背景にあるか、あるいは、2)公立文化施設担当部局では、長年の傾向、及び類似施設との比較から公立文化施設においては自主事業が重要だという認識が刷り込まれてきたことなどがあるのではないか。極端な言い方をすると、そうした漫然とした解釈の下で、わずかな鑑賞型プログラムの予算をつけるという慣例を続けてきたのではないか。

第1章で俯瞰したように、明治、大正、昭和初期をとおして「公会堂」を成長させてきた我が国の民衆の力を、改めて感じるならば、上記のような短絡的、消極的な運営姿勢ではなく、地域の文化芸術活動の活性化をとおして、人々が多様性を認識しつつ、お互いを尊重する社会を作るために、公共圏の涵養と社会包摂機能の充実という大きな社会目標に向かって進もうとする大きな意思が、設置主体としての地方自治体側にも、利用する市民の側にも必要なのではないだろうか。プログラムの作り方も変わってゆかなければならないだろう。同時に、作品を提供する舞台芸術団体側も、毎年、わずかな公的予算を目当てに、公立文化施設や行政に対して、パッケージ営業をかけることで、その存続を保ってきているという状況を再考する必要があるのではないか。三者がともに力を合わせて、新しい社会の在り方を公立文化施設の事業を通して生み出してゆくという積極的な姿勢がもとめられているのではないだろうか。今の状況では、公立文化施設の鑑賞型プログラムをすべてやめてしまっても大きな批判は生じないのではないか。

  1. ウィリアム・ボーモル、ウィリアム・ボーエン、舞台芸術―芸術と経済のジレンマ、原著1966年、日本語訳1994年、芸団協出版部
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